尊王攘夷運動とは? わかりやすく解説

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尊王攘夷運動

読み方:ソンノウジョウイウンドウ(sonnoujouiundou)

江戸末期政治運動


尊王攘夷

(尊王攘夷運動 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 14:13 UTC 版)

尊王攘夷(そんのうじょうい、尊皇攘夷)とは、天皇を尊び外敵を斥けようとする思想である。江戸時代末期(幕末)の水戸学国学に影響を受け、維新期に昂揚した政治スローガンを指している[1]


  1. ^ 尾形勇『歴史学事典』【第7巻 戦争と外交】p447
  2. ^ 尾藤正英「水戸学の特質」、『日本思想大系53 水戸学』、岩波書店、1973年(昭和48年)、558 - 559頁。
  3. ^ 上喜撰とは緑茶の銘柄である「喜撰」の上物という意味であり、「上喜撰の茶を四杯飲んだだけだが(カフェインの作用により)夜眠れなくなる」という表向きの意味と、「わずか四杯(船を1杯、2杯とも数える)の異国からの蒸気船(上喜撰)のために国内が騒乱し夜も眠れないでいる」という意味をかけて揶揄している。


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尊王攘夷運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 03:01 UTC 版)

久坂玄瑞」の記事における「尊王攘夷運動」の解説

安政6年1859年10月安政の大獄によって松陰刑死した。 文久元年1861年12月、玄瑞は、松下村塾生を中心とした長州志士結束深めるため、一灯銭申合を創った(参加者桂小五郎高杉晋作伊藤俊輔山縣有朋24名)。 文久元年頃から玄瑞と各藩志士たちと交流が活発となり、特に長州水戸薩摩土佐の四藩による尊攘派同盟の結成向けて尽力し、尊王攘夷運動、反幕運動の中心人物となりつつあった。 文久元年初めから藩論は、長井雅楽の「航海遠略策公武合体」に傾きつつあり、5月23日藩主長井に、朝廷参内させ攘夷論朝廷説得せしめることに成功した。しかし、これに対し玄瑞は以下の観点から反駁した。 一点目は経済観点から、「今の通商亡国への道である。売るものがなく、買うばかりの一方的な貿易年々多く国幣失っている。物価高騰し国民塗炭の苦しみ中にある。貿易盛んにする前に国産開発大いになされなければならない」。 二点目は幕府助けることのみに終わるという観点から、「最終的に我が国海外へ出ていかなければならないのはわかっている。先師松陰)の考えそうだった。だが、それが幕府助け天朝抑えることになってならないいずれは万里の外へ航海乗り出す策を立てねばならないのは当然だ。しかし、今回対馬占領されており、これだけ凌辱を受けながら、その罪も正さず、頭を垂れて尻尾を振って航海乗り出して武威の高まることはないと思う。先日佐久間象山訪ねたが、同じ航海説でも「力を計り勝ちを計る」という考えで、大人物かつ発想秀でており、戦を恐れて航海唱える者と同じ土俵で論ずるべきではない」。 玄瑞は長井何度議論挑み、また藩主への具申をしたが、藩論覆ることはなかった。文久元年公武合体考え沿うように和宮降嫁実現したこのような中、玄瑞は全国の「草莽志士糾合」に賭けざるを得なくなる。文久2年1862年正月14日坂本龍馬剣道修行名目で、武市半平太書簡携え、玄瑞との打ち合わせのため萩へ来訪した馬関豪商白石正一郎と結び、白石宅をアジトにして、薩摩西郷隆盛土佐吉村寅太郎久留米筑前志士たちとも謀議重ねた松門同志血盟交わし桂小五郎は、繰り返し藩主親子、藩の重臣たちに、長井雅楽弾劾具申し続けた4月、玄瑞は同志と共に上京し長井弾劾書を藩に提出する6月、玄瑞は長井要撃試みるが襲撃時機逸したため、藩に長井への訴状兼ねて待罪書を提出するも、京都にて謹慎となる。しかし、桂小五郎らは攘夷をもって幕府危地追い込む考えで、藩主毛利敬親対し攘夷力説し7月6日長井失脚成功した

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尊王攘夷運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 00:51 UTC 版)

高杉晋作」の記事における「尊王攘夷運動」の解説

長州藩では、晋作渡航中に俗論派長井雅楽らが失脚尊王攘夷尊攘)派が台頭し晋作桂小五郎木戸孝允)や久坂義助久坂玄瑞)らとともに尊攘運動加わり江戸京都において勤皇破約攘夷宣伝活動展開し各藩志士たちと交流した文久2年1862年)、晋作は「薩藩はすでに生麦に於いて夷人斬殺して攘夷の実を挙げたのに、我が藩はなお、公武合体説いている。何とか攘夷の実を挙げねばならぬ藩政府でこれを断行できぬならば」と論じていた。折りしも、外国公使がしばしば武州金澤金沢八景)で遊ぶからそこで刺殺しようと同志高杉晋作久坂玄瑞大和弥八郎長嶺内蔵太志道聞多松島剛蔵寺島忠三郎有吉熊次郎赤禰幹之丞山尾庸三品川弥二郎) が相談した。しかし玄瑞が土佐藩武市半平太話したことから、これが前土佐藩主・山内容堂通して長州藩世子毛利定広伝わり無謀であると制止され実行到らず櫻田邸内謹慎を命ぜられる。 この過程で、長州藩朝廷や他藩との提携交渉は、もっぱら久坂担当することとなる。文久2年12月12日には、幕府違勅抗議するため、同志とともに品川御殿山建設中英国公使館焼き討ちを行う。この事件の後、他の同志たちが次々と京都に向かうなか、晋作そのまま江戸居座り改葬などを済ませたが、京都にいる世子の命を受けた志道聞多晋作迎え来て共に京都向かった京都呼び寄せられた晋作は、藩が晋作に就かせよう考えていた朝廷側との交渉役である学習院用掛の役を辞退し、突然十年の暇を願い出た。それが許される翌日には頭を丸めて僧形になってしまった。このとき晋作は「西へ行く人をしたひて東行くわが心をば神やしるらむ」と詠み東行とうぎょう)と号したその後帰り吉田松陰生誕地である松本村にある小さな借家に妻と女中1人引き連れて引っ越した

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