三省堂 大辞林 |
よしだ-しょういん 【吉田松陰】
防府歴史用語辞典 |
吉田松陰 (よしだしょういん)
近代日本人の肖像 |
吉田松陰 よしだ しょういん
山口生まれ。父は萩藩士杉百合之助。山鹿流兵学師範であった吉田家の養子となる。藩校明倫館を経て、諸国を遊学。佐久間象山のもとで砲術と蘭学を学ぶ。安政元年(1854)海外密航を企て、下田港のアメリカ軍艦ポーハタン号に乗り込もうとしたが、拒絶され投獄。のち萩の野山獄に移されるが、翌年免獄となり実家杉家に幽閉の身となる。その間松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋ら約80人の門人を集め、幕末から明治にかけて活躍した人材育成の場となった。安政6年(1859)、安政の大獄により江戸で刑死した。
| キーワード | 教育家 |
|---|
- 著作等(近代デジタルライブラリー収載)
-
- 武教講録 / 吉田松陰著 松下村塾, 慶4 <YDM11888>
- 東北遊日記 / 吉田松陰著 河内屋吉兵衛, 慶4.7 <YDM23484>
- 左氏兵戦抄 / 吉田松陰(矩方)著 起晋堂茂兵衛等, 明2 <YDM52761>
- 留魂録 / 吉田松陰著 松下村塾, 〔明2〕 <YDM9047>
- 慨士遺音. [1], [2], [3] / 吉田松陰, 月性著 都文堂, 文林堂, 明2.10 <YDM201742>
- 照顔録・坐獄日録 / 吉田松陰著 〔松下村塾〕, 〔187-〕 <YDM300144>
- 儲〓話 / 吉田松陰(寅次郎)著 宮川臣吉, 明14.10 <YDM62154>
- 回顧録. [1], [2] / 吉田松陰(寅次郎)著 文求堂, 明19.2 <YDM7491>
- 毛利隆元卿伝 / 吉田松陰, 山県大華著 稲垣常三郎, 明24.6 (長周叢書 ; 〔8〕) <YDM6678>
- 幽囚録 / 吉田松陰著 吉川半七, 明24.7 <YDM9038>
- 吉田松陰先生遺文 / 稲垣常三郎, 明24.10 (長周叢書 ; 〔12〕) <YDM9043>
- 庸醫譚 / 吉田松陰〔著〕 ; 福岡弘賢校正 〔製作者不明〕, 明治26 <YDM310318>
- 庸醫余譚 / 吉田松陰〔著〕 ; 福岡弘賢校正 〔製作者不明〕, 明治26 <YDM310319>
- 外蕃通略 / 吉田松陰(矩方)著 吉田庫三, 明27.4 <YDM1787>
- 俗簡雑輯 / 吉田松陰著 ; 久坂義助編 ; 品川弥二郎校 尊攘堂, 明28.10 <YDM7495>
- 講孟箚記 / 吉田松陰(矩方)著 田中文求堂, 明30.3 <YDM8468>
- 松陰先生批評東坡策 / 吉田松陰著 ; 吉田庫三校 吉川半七, 明32.1 <YDM100306>
- 松陰先生遺著. [1], [2] / 吉田庫三編 民友社, 明41,42 <YDM8980>
- 松陰先生女訓 / 吉田庫三編 民友社, 明42.6 <YDM10207>
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
江戸人物事典 |
吉田 松陰 (よしだ しょういん)
| 1830〜1859 (天保元年〜安政6年) |
|
【思想家】 高杉晋作、伊東博文らを教育。堂々と幕府を批判して死罪に。 |
| 幕末の思想家。教育者。長州藩士。長崎・平戸へ遊学、兵学を学ぶ。江戸に上り、佐久間象山に師事、西洋砲術と蘭学を学ぶ。ペリーが下田に来航したとき密航するが、失敗した。処分を受け、長州藩で投獄、後に幽閉された。幽閉中松下村塾を開き、高杉晋作、伊東博文らを教育。日米修好通商条約問題で幕府を批判し、再入獄。江戸へ移管されると、幕府の取り調べに対し幕政批判を展開したため、死罪となった(安政の大獄)。 |
年(和暦) |
||
| ●1830年 (天保元年) | ■伊勢御蔭参り大流行 | 0才 |
| ●1837年 (天保8年) | ■大塩平八郎の乱 | 7才 |
| ●1839年 (天保10年) | ■蛮社の獄 | 9才 |
| ●1853年 (嘉永6年) | ■黒船来航 | 23才 |
| ●1855年 (安政2年) | ■安政江戸地震 | 25才 |
| ●1858年 (安政5年) | ■安政の大獄 | 28才 |
人物名 |
年齢差 |
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| ・Boissonade G. E. | 1825年〜1910年 (文政8年〜明治43年) | +5 |
| ・梅若 実 | 1828年〜1909年 (文政11年〜明治42年) | +2 |
| ・松平 春嶽 | 1828年〜1890年 (文政11年〜明治23年) | +2 |
| ・高橋 由一 | 1828年〜1894年 (文政11年〜明治27年) | +2 |
| ・仮名垣 魯文 | 1829年〜1894年 (文政12年〜明治27年) | +1 |
| ・中村 正直 | 1832年〜1891年 (天保3年〜明治24年) | -2 |
| ・近藤 勇 | 1834年〜1868年 (天保5年〜明治元年) | -4 |
| ・Roesler K. | 1834年〜1894年 (天保5年〜明治27年) | -4 |
| ・橋本 雅邦 | 1835年〜1908年 (天保6年〜明治41年) | -5 |
| ・土方 歳三 | 1835年〜1869年 (天保6年〜明治2年) | -5 |
| ・榎本 武揚 | 1836年〜1908年 (天保7年〜明治41年) | -6 |
ウィキペディア |
吉田松陰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/11 03:03 UTC 版)
| 吉田松陰 | |
|---|---|
吉田松陰像(山口県文書館蔵)
|
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| 通称: | 吉田寅次郎 |
| 生年: | 文政13年8月4日(1830年9月20日) |
| 生地: | |
| 没年: | 安政6年10月27日(1859年11月21日) |
| 没地: | |
| 思想: | 尊王攘夷 |
| 活動: | 倒幕 |
| 藩: | 長州藩 |
| 投獄: | 野山獄 |
| 裁判: | 死刑(罪状:アメリカへの密航) |
| 刑場: | 伝馬町 |
| 廟: | 松陰神社 靖国神社 |
| 神道 |
|---|
| 基礎 |
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| 資料 |
| 古事記 - 日本書紀 - 風土記 - 古語拾遺 |
| 神社 |
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| 祭祀と祭礼 |
| 祭 - 祝詞 |
| 関連用語 |
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吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家である。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。
目次 |
名前
幼時の名字は杉(本姓不明)。幼名は虎之助。吉田家に養子入り後、大次郎と改める。通称は寅次郎。諱は矩方(のりかた)。字は義卿、号は松陰の他、二十一回猛士。松陰の号は寛政の三奇人の一人で尊皇家の高山彦九郎のおくり名にちなんでつけられた。また、「二十一回」については、名字の「杉」の字を「十」「八」「三」に分解し、これらを合計した数字が「二十一」となること、および、「吉田」の「吉」を「十一口」、「田」を「十口」に分解でき、これらを組み合わせると「二十一回」となることによりつけられている。
生涯
文政13年(1830年)8月4日、萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。天保5年(1834年)6歳の時に叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助の養子となるが、天保6年(1835年)に大助が死去したため、同じく叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受けた。11歳の時、藩主・毛利慶親への御前講義の出来栄えが見事であったことにより、その才能が認められた。
しかしアヘン戦争で清が西洋列強に大敗したことを知って山鹿流兵学が時代遅れになったことを痛感すると、西洋兵学を学ぶために嘉永3年(1850年)に九州に遊学する。ついで、江戸に出て佐久間象山に師事する。象山からは「天下、国の政治を行う者は、吉田であるが、わが子を託して教育してもらう者は小林(小林虎三郎)のみである」と、二人の名前に共通していた「トラ」を引用し「象門の二虎」と褒められている。
嘉永5年(1852年)、友人である宮部鼎蔵らと東北旅行を計画するが、出発日の約束を守るため、長州藩からの過書手形(通行手形)の発行を待たず脱藩。この東北遊学では、水戸で会沢正志斎と面会、会津で日新館の見学を始め、東北の鉱山の様子等を見学。秋田では相馬大作事件の真相を地区住民に尋ね、津軽では津軽海峡を通行するという外国船を見学しようとした。江戸に帰着後、罪に問われて士籍剥奪・世禄没収の処分を受けた。
嘉永6年(1853年)、マシュー・ペリーが浦賀に来航すると、師の佐久間象山と黒船を視察し、西洋の先進文明に心を打たれ、外国留学を決意。同郷の金子重之輔と長崎に寄港していたプチャーチンのロシア軍艦に乗り込もうとするが、ヨーロッパで勃発したクリミア戦争にイギリスが参戦した事から同艦が予定を繰り上げて出航した為に失敗。
安政元年(1854年)にペリーが日米和親条約締結の為に再航した際には金子と二人で停泊中のポーハタン号へ赴き、乗船して密航を訴えるが拒否された(一説ではペリーの暗殺を計画していたともいわれる)。松陰は乗り捨てた小舟から発見されるであろう証拠が幕府に渡る前に奉行所に自首し、伝馬町の牢屋敷に送られた。この密航事件に連座して佐久間象山も投獄されている。幕府の一部ではこのときに佐久間、吉田両名を死罪にしようという動きもあったが、老中首座の 阿部正弘が反対したため、助命されて長州へ檻送され野山獄に幽囚される。獄中で密航の動機とその思想的背景を『幽囚録』に著す。
安政2年(1855年)に出獄を許されたが、杉家に幽閉の処分となる。安政4年(1857年)に叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に松下村塾を開塾する。この松下村塾において松陰は久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義などの面々を教育していった[1]。なお、松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという「生きた学問」だったといわれる。
安政5年(1858年)、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒し、討幕を表明して老中首座である間部詮勝の暗殺を計画する。だが、弟子の久坂玄瑞、高杉晋作や桂小五郎(木戸孝允)らは反対して同調しなかったため、計画は頓挫した。さらに、松陰は幕府が日本最大の障害になっていると批判し、倒幕をも持ちかけている。結果、松陰は捕らえられ、野山獄に幽囚される。
やがて大老・井伊直弼による安政の大獄が始まると、江戸の伝馬町牢屋敷に送られる。幕閣の大半は暗殺計画は実行以前に頓挫したことや松陰が素直に罪を自供していたことから、「遠島」にするのが妥当だと考えていたようである。しかし松陰は尋問に際し老中暗殺計画の詳細を自供し、自身を「死罪」にするのが妥当だと主張。これが井伊の逆鱗に触れ、安政6年(1859年)10月27日に斬刑に処された。享年30(満29歳没)。生涯独身であった。
獄中にて遺書として門弟達に向けて『留魂録』を書き残しており、その冒頭に記された辞世は“身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”。また、家族宛には『永訣書』を残しており、こちらに記された“親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん”も辞世として知られている。
処刑後、小塚原回向院(東京都荒川区)の墓地に葬られたが、文久3年(1863年)に高杉晋作ら攘夷派の志士達により現在の東京都世田谷区若林に改葬された。
年譜
- 文政13年8月4日(1830年9月20日)、長門国萩松本村(現・山口県萩市椿東椎原)に家禄26石の萩藩士・杉百合之助、瀧の次男として生まれる。
- 天保5年(1834年)、父の弟である吉田大助の仮養子となる。吉田家は山鹿流兵学師範として毛利氏に仕え家禄は57石余の家柄であった。
- 天保6年(1835年)、大助の死とともに吉田家を嗣ぐ。
- 天保11年(1840年)、藩主・毛利慶親の御前で『武教全書』戦法篇を講義し、藩校明倫館の兵学教授として出仕する。
- 天保13年(1842年)、叔父の玉木文之進が私塾を開き松下村塾と名付ける。
- 弘化2年(1845年)、山田亦介(村田清風の甥)から長沼流兵学を学び、翌年免許を受ける。
- 嘉永3年(1850年)、九州の平戸へ遊学。山鹿流兵学者の山鹿万介や葉山左内に学ぶ。また肥後熊本で、宮部鼎蔵を知る。
- 嘉永4年(1851年)、平戸藩主の参勤交代に従い江戸へ出る。佐久間象山に学ぶ。東北地方へ遊学する際、通行手形の発行が遅れたため、宮部鼎蔵らとの約束を守る為に通行手形無しで他藩に赴くという脱藩行為を行う。
- 嘉永5年(1852年)、脱藩の罪で士籍家禄を奪われ杉家の育(はごくみ)となる。
- 嘉永6年(1853年)、アメリカ合衆国のペリー艦隊の来航を見ており、外国留学の意志を固め、金子重輔と長崎に寄港していたロシア帝国の軍艦に乗り込もうとするが、失敗。
- 安政元年(1854年)、再航したペリー艦隊に金子と二人で赴き、密航を訴えるが拒否される。事が敗れた後、そのことを直ちに幕府に自首し、長州藩へ檻送され野山獄に幽囚される。
- 安政2年(1855年)、生家で預かりの身となるが、家族の薦めにより講義を行う。その後、叔父の玉木文之進が開いていた私塾松下村塾を引き受けて主宰者となり、高杉晋作を始め、幕末維新の指導者となる人材を多く育てる。
- 安政5年(1858年)、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと激しくこれを非難、老中の間部詮勝の暗殺を企て、警戒した藩によって再び投獄される。
- 安政6年(1859年)、幕命により江戸に送致される。老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される、享年30(満29歳没)。
- 1 吉田松陰の概要
- 2 ゆかりの地
- 3 一族
- 4 吉田松陰が登場する作品
- 5 関連項目
固有名詞の分類
- 甦る吉田松陰 是非が問われる偉人教育JBpress
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