三省堂 大辞林 |
じゆう-みんけんうんどう ―いう― 2-5 【自由民権運動】
明治初期、藩閥専制政治に反対し国会開設・憲法制定などを要求した政治運動。1874年(明治7)、板垣退助らによる民撰議院設立要求に始まり、国会期成同盟を中心に全国的に広まった。運動は81年、10年後の国会開設を約束する詔勅を引き出し、自由党や立憲改進党などの政党結成へと進んだが、政府の弾圧強化と運動内部の対立、福島事件や加波山事件など激化事件が相つぐなかで衰えた。しかし国会開設が近づくと、旧自由党の星亨らは86年民権派の再結集を呼びかけ(大同団結運動)、87年、三大事件建白運動が起こり、全国から自由民権家が上京した。それに対し政府は保安条例を出して在京の民権派を東京から追放し、運動は鎮圧された。
人権啓発用語辞典 |
自由民権運動
明治維新から10年あまり、いっこうに政治参加の権利は認められませんでした。政治に参加できないばかりか、集会の自由や結社権という政治的な権利もありません。憲法も国会もない、政治について自由に発言する権利も、市民的な自由も認められていない、というのが国民の置かれていた状況だったのです。
しかし国民には、租税負担や徴兵の義務は課せられていました。報国という観念もしばしば強調され、人びとが愛国心をもつことも奨励されました。
自由民権運動は、一方的に義務が強制され、権利行使が極端に制限された時代に、憲法を立て、国会を開いて国民の政治参加の権利を保障し、国民の能動性を引き出すことによって後進国日本の危機を打開しようとする全国的な政治運動・思想運動として展開します。また参政権を行使するためには、それにふさわしい政治的識見をはぐくむための集会・結社・思想、言論、出版の自由が必要でしたが、そこに国家が介入することに反対し、講義したのも自由民権運動でした。
しかし国民には、租税負担や徴兵の義務は課せられていました。報国という観念もしばしば強調され、人びとが愛国心をもつことも奨励されました。
自由民権運動は、一方的に義務が強制され、権利行使が極端に制限された時代に、憲法を立て、国会を開いて国民の政治参加の権利を保障し、国民の能動性を引き出すことによって後進国日本の危機を打開しようとする全国的な政治運動・思想運動として展開します。また参政権を行使するためには、それにふさわしい政治的識見をはぐくむための集会・結社・思想、言論、出版の自由が必要でしたが、そこに国家が介入することに反対し、講義したのも自由民権運動でした。
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自由民権運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/25 05:39 UTC 版)
自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)とは、明治時代の日本において行われた政治運動・社会運動。
- ^ ただし板垣らの民撰議院設立建白書は当時それほどの先進性はなく、自らを追放に追い込んだ大久保利通ら非征韓派への批判が主体であり、政府における立法機関としての位置づけも不明確であった。むしろ板垣や江藤・後藤らが政権の中枢にあった時期に彼らが却下した宮島誠一郎の『立国憲義』などの方が先進性や体系性において優れており、現在では民撰議院設立建白書の意義をそれほど高く認めない説が有力である。稲田 2009などを参照。
- ^ 犬塚 2005、pp.5-9。
- ^ 松方デフレにより、経済的余裕のあった富農層も次第に運動への熱意を失いつつあった。稲田 2009、p.125。
- ^ 田村 2004、第2部 国権と民権の相剋[要ページ番号]。
- ^ 田村 2004[要ページ番号]。
- ^ 田村 2004[要ページ番号]。
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- 3 参考文献
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