東大寺写経所
読み方:トウダイジシャキョウショ(toudaijishakyousho)
東大寺写経所
東大寺写経所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 05:45 UTC 版)
東大寺写経所は皇后宮職・造東大寺司の下職である。元は藤原光明子の私的な機関であったが、聖武天皇の皇后となって皇后宮職の下に置かれ、後に造東大寺司の下に置かれた。玄昉が唐から持ち帰った経典をもとに736年(天平8年)から一切経の書写を始め、この写経事業は756年頃まで続いた。光明皇后が740年(天平12年)5月1日に願文を記したため、「五月一日経」と呼ぶ。 写経所文書は、天平期を含む8世紀の約50年間(727年-776年、神亀4年-宝亀7年)に、東大寺写経所で作成された帳簿類である。この中には五月一日経に関する史料も多い。当時、紙は貴重品で、不要となった文書の裏面を帳簿に再利用していた。写経所文書の紙背文書の中には、戸籍や計帳、正税帳などの公文書が含まれていた。 帳簿類が正倉院中倉に収められた経緯はわかっていない。
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