東大寺写経所とは? わかりやすく解説

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東大寺写経所

読み方:トウダイジシャキョウショ(toudaijishakyousho)

奈良時代写経所


東大寺写経所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 22:55 UTC 版)

東大寺写経所(とうだいじしゃきょうじょ)は、奈良時代に、東大寺に設置された写経機構(写経所)で、造東大寺司が管轄した。金光明寺写経所から改称した。




  1. ^ 『正倉院文書』


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東大寺写経所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 05:45 UTC 版)

正倉院文書」の記事における「東大寺写経所」の解説

東大寺写経所は皇后宮職造東大寺司下職である。元は藤原光明子私的な機関であったが、聖武天皇皇后となって皇后宮職の下に置かれ、後に造東大寺司の下に置かれた。玄昉が唐から持ち帰った経典をもとに736年天平8年)から一切経書写始め、この写経事業756年頃まで続いた光明皇后740年天平12年5月1日願文記したため、「五月一日経」と呼ぶ。 写経所文書は、天平期を含む8世紀の約50年間(727年-776年神亀4年-宝亀7年)に、東大寺写経所で作成され帳簿類である。この中には五月一日経に関する史料も多い。当時、紙は貴重品で、不要となった文書の裏面を帳簿再利用していた。写経所文書紙背文書中には戸籍計帳正税帳などの公文書含まれていた。 帳簿類が正倉院中倉収められ経緯わかっていない。

※この「東大寺写経所」の解説は、「正倉院文書」の解説の一部です。
「東大寺写経所」を含む「正倉院文書」の記事については、「正倉院文書」の概要を参照ください。

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