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しょうむてんのう しやうむてんわう 【聖武天皇】
防府歴史用語辞典 |
聖武天皇 (しょうむてんのう)
歴代天皇事典 |
聖武天皇
母は太政大臣正一位の藤原不比等の娘の宮子。
707年に父文武天皇が崩御したが首皇子はまだ幼く、祖母の元明天皇、伯母の元正天皇が相次いで即位した。
首皇子は714年に立太子し、716年に藤原不比等と橘三千代との間に生まれた光明子(安宿媛)を娶った。
724年に元正天皇から譲位されて即位し光明子を皇后とした。
聖武天皇は743年に「墾田永年私財法」を発布して墾田の開発を公認してその促進をはかった。
聖武天皇はまた仏教に深く帰依して741年には詔をして全国に国分寺、国分尼寺を建立するよう命じ、745年に東大寺の造営を命じるなど仏教政策を推進することにより「長屋王の変」、「藤原広嗣の乱」以来の乱れた国土の平穏を願った。
749年に子の孝謙天皇に譲位し、その後念願であった東大寺の大仏開眼に臨席した。
| 第45代天皇 | |
| 天皇名 | 聖武天皇 |
| 読み方 | しょうむてんのう |
| 名・諱等 | 天璽国押開豊桜彦天皇 |
| 読み方 | あめしるしくにおしひらきとよさくらひこ |
| 時代区分 | 古代 |
| 天皇在位 | 724年から749年 |
| 生年 | 701 |
| 没年 | 756 |
| 父 | 文武天皇 |
| 母 | 藤原宮子 |
| 兄弟 | □□□ |
| 配偶者 | 藤原光明子 |
| 皇子女 | 阿倍内親王(孝謙・称徳) |
| 即位宮 | 平城京 |
| 天皇陵 | 佐保山南陵 |
| 所在地 | 奈良県奈良市法蓮町 |
歴代天皇陵一覧 |
聖武天皇 佐保山南陵
(しょうむてんのう さほやまのみなみのみささぎ)
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聖武天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/21 07:28 UTC 版)
聖武天皇(しょうむ てんのう、大宝元年(701年) - 天平勝宝8年5月2日(756年6月4日)、在位:神亀元年2月4日(724年3月3日) - 天平勝宝元年7月2日(749年8月19日))は日本(奈良時代)の第45代天皇。即位前の名は首皇子(おびとのみこ)。 尊号(諡号)を天璽国押開豊桜彦天皇(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)、勝宝感神聖武皇帝(しょうほうかんじんしょうむこうてい)、沙弥勝満(しゃみしょうまん)とも言う。文武天皇の第一皇子。母は藤原不比等の娘・宮子。
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- ^ 天平16年2月には恭仁京から難波京への遷都の詔が出されているが、当時天皇は紫香楽宮に滞在していた。この詔の発令は元正上皇によるものとも言われており、度重なる遷都は宮廷の一時的分裂を招いたとする見方もある。なお、翌年1月に聖武天皇は紫香楽宮を都としている。(参照:筧敏生『古代王権と律令国家』(校倉書房、2002年)P251-267)
- ^ 公式の退位日は7月2日であるが、その以前の1月14日に行基を師として出家した(『扶桑略記』)とされ、また、閏5月20日に作成された東大寺への勅施入願文には「太上天皇沙弥勝満」の署名(『続日本紀』)があり、このときには聖武天皇自身は既に退位・出家していた可能性がある。
- ^ [1]【東大寺・(財)元興寺文化財研究所 合同発表】国宝東大寺金堂鎮壇具 金銀荘大刀二振の宝剣字象嵌銘および、銀荘大刀一振の七星文象嵌の発見について
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