明治3年とは? わかりやすく解説

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明治3年 (かのえうま 庚午)

明治3年
年(年号)
1853年 (嘉永6年) 黒船来航
1855年 (安政2年) 安政江戸地震
1858年 (安政5年) 安政の大獄
1860年 (万延元年) 桜田門外の変
1862年 (文久2年) 生麦事件
1863年 (文久3年) 薩英戦争
1867年 (慶応3年) 大政奉還
1868年 (明治元年) 鳥羽・伏見の戦い
1869年 (明治2年) 版籍奉還
明治3年
1871年 (明治4年) 廃藩置県
1871年 (明治4年) 解放令
1873年 (明治6年) 徴兵制布告
1876年 (明治9年) 廃刀令
1877年 (明治10年) 西南戦争
1877年 (明治10年) 東京大学設立
1882年 (明治15年) 上野動物園開園
1883年 (明治16年) 鹿鳴館完成
1889年 (明治22年) 大日本帝国憲法発布


明治3年
Harris Townsend 1804年1878年(文化元年明治11年) 66
Hepburn J. 1815年1911年(文化12年明治44年) 55
河竹 黙阿弥 1816年1893年(文化13年明治26年) 54
安藤 信正 1819年1871年(文政2年明治4年) 51
勝 海舟 1823年1899年(文政6年明治32年) 47
Boissonade G. E. 1825年1910年(文政8年明治43年) 45
梅若  実 1828年1909年(文政11年明治42年) 42
松平 春嶽 1828年1890年(文政11年明治23年) 42
高橋 由一 1828年1894年(文政11年明治27年) 42
仮名垣 魯文 1829年1894年(文政12年明治27年) 41
中村 正直 1832年1891年(天保3年明治24年) 38
Roesler K. 1834年1894年(天保5年明治27年) 36
橋本 雅邦 1835年1908年(天保6年明治41年) 35
榎本 武揚 1836年1908年(天保7年明治41年) 34
徳川(一橋) 慶喜 1837年1913年(天保8年大正2年) 33才
Morse E. S. 1838年1925年(天保9年大正14年) 32
三遊亭 円朝(初代) 1839年1900年(天保10年明治33年) 31
渋沢 栄一 1840年1931年(天保11年昭和6年) 30
Morel E. 1841年1871年(天保12年明治4年) 29
沼間 守一 1843年1890年(天保14年明治23年) 27
Griffis William Eliot 1843年1928年(天保14年昭和3年) 27
尾上 菊五郎(五世) 1844年1903年(弘化元年明治36年) 26
Balz E. 1849年1913年(嘉永2年大正2年) 21
星 亨 1850年1901年(嘉永3年明治34年) 20才
小泉 八雲 1850年1904年(嘉永3年明治37年) 20才
Conder J. J. 1852年1920年(嘉永5年大正9年) 18
Eckeert Franz Von 1852年1916年(嘉永5年大正5年) 18
島田 三郎 1852年1923年(嘉永5年大正12年) 18
高村 光雲 1852年1934年(嘉永5年昭和9年) 18
明治天皇 1852年1912年(嘉永5年大正元年) 18
Fenollosa E. F. 1853年1908年(嘉永6年明治41年) 17才
高橋 是清 1854年1936年(安政元年昭和11年) 16才
田口 卯吉 1855年1905年(安政2年明治38年) 15才
浅井 忠 1856年1907年(安政3年明治40年) 14才
高木 正年 1856年1934年(安政3年昭和9年) 14才
快楽亭 ブラック 1858年1923年(安政5年大正12年) 12
田中 長兵衛 1858年1924年(安政5年大正13年) 12
妻木 頼黄 1859年1916年(安政6年大正5年) 11
Bigot G. 1860年1927年(万延元年昭和2年) 10
内村 鑑三 1861年1930年(文久元年昭和5年) 9才
二葉亭 四迷 1864年1909年(元治元年明治42年) 6才
津田 梅子 1864年1929年(元治元年昭和4年) 6才
夏目 漱石 1867年1916年(慶応3年大正5年) 3才
幸田 露伴 1867年1947年(慶応3年昭和22年) 3才
山田 美妙 1868年1910年(明治元年明治43年) 2才
中浜 (ジョン)万次郎 ????年〜1898年(??年〜明治31年) ?才

1870年

(明治3年 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 09:51 UTC 版)

1870年(1870 ねん)は、西暦グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年


  1. ^ 『子どもといく東京ディズニーシー ナビガイド 2015-2016』講談社、2014年、128頁。ISBN 978-4-06-270695-7 


「1870年」の続きの解説一覧

明治3年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:34 UTC 版)

日進 (スループ)」の記事における「明治3年」の解説

注)明治5年までは旧暦日付とする。 明治3年3月3日(1870年4月3日)長崎回航し[要出典]、4月13日(1870年5月13日)佐賀藩受領日進丸と命名した4月23日(1870年5月23日)佐賀藩から献納申し出があり、5月14日(1870年6月12日)兵部省許可6月22日(1870年7月20日)受領日進となった。『佐賀藩海軍史』によると献艦式を行ったという。乗組員そのままで、船将真木安左衛門(真木長義)が同日艦長となった。『海軍省報告書』では4月23日(1870年5月23日)に佐賀藩から献上されたとしている。 7月(1870年7月から8月)機械修理行った同月普仏戦争勃発し中立を守るため、7月28日(1870年8月24日)に日進単独函館派遣となった8月9日(1870年9月4日)品海出港し函館回航された。翌明治4年3月7日(1871年4月26日)に警備解かれた。

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明治3年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 16:10 UTC 版)

富士山 (スループ)」の記事における「明治3年」の解説

明治3年7月(1870年8月頃)に普仏戦争勃発し中立を守るために太政官7月28日(新暦8月24日)に小艦隊3隊を編成春日丸富士山摂津の3隻は赤塚源六(富士山乗艦予定)の指揮兵庫港派遣された。翌明治4年3月7日(1871年4月26日)に警備解かれた。

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明治3年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 03:48 UTC 版)

摂津艦」の記事における「明治3年」の解説

明治3年7月(1870年8月頃)に普仏戦争勃発し中立を守るために太政官7月28日(新暦8月24日)に小艦隊3隊を編成春日丸富士山摂津の3隻は赤塚源六(富士山乗艦予定)の指揮兵庫港派遣された。翌明治4年3月7日(1871年4月26日)に警備解かれた。

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明治3年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 15:39 UTC 版)

春日丸」の記事における「明治3年」の解説

明治3年4月(1870年5月) 春日丸鹿児島藩から献納され、船籍明治新政府移管され春日(艦)となる。 明治3年7月(1870年8月頃)に普仏戦争勃発し中立を守るために太政官7月28日(1870年8月24日)に小艦隊3隊を編成春日富士山摂津の3隻は赤塚源六(富士山乗艦予定)の指揮兵庫港派遣された。翌明治4年3月7日(1871年4月26日)に警備解かれた。 兵庫警備中の9月24日(1870年10月18日)に春日長崎回航令達された。長崎平穏だったため、修理の後に品海回航11月19日(1871年1月9日)品海到着し、ここで兵部省が船を受領したその後横浜港警備予定とされた。『記録材料海軍省報告書』によると11月(1870年12月から翌年1月)に春日修理完了し横浜回航、各港警備応援回った

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明治3年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 06:41 UTC 版)

第一丁卯」の記事における「明治3年」の解説

明治3年(1870年)に政府献納同年5月8日(1870年6月6日)に兵部省所管となり第一丁卯(艦)と改名された。『海軍省報告書』では4月29日(1870年5月29日)に山口藩から献上としている。同年5月(1870年6月頃)第一丁卯イギリス測量船と共に南海測量開始した測量11月(1870年12月から翌年1月)に終了し第一丁卯神戸到着した

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明治3年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 09:44 UTC 版)

龍驤 (コルベット)」の記事における「明治3年」の解説

艦は長崎回航され、明治3年3月(1870年4月)イギリス人(長崎商人トーマスブレッキグロウヴァル)から熊本藩購入、「龍驤(りょうしょう)」と命名、後に呼称は「りゅうじょう」と変化した。同3月熊本藩から明治政府献納申し出出され4月12日付(新暦5月12日)で太政官より受け取る旨の返答があった。5月8日(新暦6月6日)に品川沖で領収、あるいは翌年明治4年(1871年)5月献上され兵部省所管となった。『海軍省報告書』によると4月12日(1870年5月12日)に熊本藩から献上とされている。 明治3年(1870年)には横浜港にてイギリス海軍士官招き、各艦から選抜され砲手砲撃訓練行った。 明治3年7月(1870年8月頃)に普仏戦争勃発し中立を守るために太政官7月28日(新暦8月24日)に小艦隊3隊を編成龍驤電流丸延年丸の3隻は中牟田武臣(龍驤乗艦)の指揮長崎港派遣された。翌明治4年3月7日(1871年4月26日)に警備解かれた。

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明治3年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:10 UTC 版)

乾行 (砲艦)」の記事における「明治3年」の解説

明治3年7月(1870年8月頃)に普仏戦争勃発し中立を守るために太政官7月28日(新暦8月24日)に小艦隊3隊を編成甲鉄乾行の2隻は中島四郎(甲鉄乗艦)の指揮横浜港派遣となり、乾行8月9日(新暦9月4日)品海から横浜回航した。9月1日(新暦9月25日)一旦品海戻り同地大砲備え付けの達が出された。翌明治4年3月7日(1871年4月26日)に警備解かれた。

※この「明治3年」の解説は、「乾行 (砲艦)」の解説の一部です。
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明治3年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 09:17 UTC 版)

飛龍丸」の記事における「明治3年」の解説

明治3年5月(1870年6月頃)にイギリス海軍シルビア号南海測量することになり日本側から第一丁卯測量艦として行動、そのための石炭300,000斤の輸送飛龍丸使用された。同年7月(新暦8月頃)、開拓使からの要請樺太まで航海することになり、10月2日(1870年11月13日)午後8時15品海帰港した。この10月(新暦11月頃)の時点船体腐敗などで修理が必要との申し出船長から出された。

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明治3年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:44 UTC 版)

大坂丸」の記事における「明治3年」の解説

大坂丸6月15日(1870年7月13日)に出港したが、機関の故障起きて兵庫港修理行ったその後出港して直ぐ故障することを繰り返し安芸下関修理行い長崎港到着同年秋に同地修理行った12月(1871年1月から2月)には富士山用のバラスト神戸などへ至急輸送した12月13日(1871年2月2日)に大坂丸横浜港回航令達出され12月15日(1871年2月4日)から同港に停泊した

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