明治39年制式
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「軍服 (大日本帝国陸軍)」の記事における「明治39年制式」の解説
1906年(明治39年)4月12日、「陸軍戦時服服制」は「陸軍軍服服制」と改められた(明治39年勅令第71号)。これによって、臨時のものであった陸軍戦時服は以後も着用するものとなった。もっとも、「陸軍軍服服制」における第二種帽・衣・袴・外套等の地質は、下士卒等にあっては当分の間は濃紺絨を以て茶褐絨に代用することが許された。これは、日露戦争の終結により大量の濃紺絨の生地が余ってしまったことからこれを費消するための過渡的措置であった。 ここに、帝国陸軍の軍装・略装は従来の濃紺色から茶褐色(カーキ色)へと色彩面で極めて特徴的な転換が行われた。 1910年(明治43年)頃の陸軍一等軍医(大尉相当官)。中原謙助
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