かわばた‐ぎょくしょう〔かはばたギヨクシヤウ〕【川端玉章】
川端玉章
川端玉章
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川端 玉章(かわばた ぎょくしょう、天保13年3月8日(1842年4月18日) - 大正2年(1913年)2月14日)は、明治時代に活躍した日本画家。本名は滝之助。東京美術学校の教授を務め、川端画学校を開設するなど後進の育成に努め、美術学校の同僚だった橋本雅邦と並び評された。
- ^ 『川端玉章翁略年譜』など多くの文献では、1年早い1866年(慶応2年)に江戸に来たとしている。しかし、『平安人物志』慶応2年版では四条東洞院西在住とされ、三井家の史料に玉章がお供をした三井高喜が慶応3年に江戸勤番に出たとしているので、慶応3年が正しい可能性がある(塩谷(2007)p.293)。
- ^ 『官報』第3901号、明治29年7月1日。
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)p.9。
- ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」1901年4月22日。
- ^ 『官報』第6135号「叙任及辞令」1903年12月12日。
- ^ 神奈川県立歴史博物館編集・発行 『特別展図録 真明解・明治美術/増殖する新(ニュー)メディア』 2018年8月3日、pp.58,59,220。
- ^ 宮内庁三の丸尚蔵館編集 『明治のデザイン ―和中洋の融和の美を求めて― 三の丸尚蔵館企画展図録 No.32』 財団法人 菊葉文化協会、2003年9月27日、pp.74,94。
- ^ 佐々木美帆 椎名晃史 長野栄俊編集 『福井県立美術館平成25年度企画展 生誕150年・没後100年記念「岡倉天心展」―大観、春草、近代日本画の名品を一堂に―』 福井県立美術館、2013年10月30日、p.77。
- ^ a b 宮内庁書陵部 宮内庁三の丸尚蔵館編集 『明治の御慶事―皇室の近代事始めとその歩み』 宮内庁〈三の丸尚蔵館展覧会図録No.80〉、2018年4月28日、第36,41図
- ^ a b 財団法人 三井文庫編集発行 『三井文庫別館蔵品図録 三井家の絵画』 2002年9月、pp.56-58,112-114。
- ^ 宮内庁三の丸尚蔵館編集 『慶賀によせて 三の丸尚蔵館展覧会図録No.2』 財団法人菊葉文化協会、1994年1月4日、pp.30-33,64。
- ^ 笠岡市立竹喬美術館編集・発行 『艶美の競艶 ―東西の美しき女性 木原文庫より―』 2014年、第59図。
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