陽炎
「陽炎」とは・「陽炎」の意味
#「陽炎」とは・「陽炎」の意味を自然現象で捉えた場合自然現象としての「陽炎」とは、「地面から空気が炎のようにゆらゆらと揺らめいて立ち上って見える状態」をさしていう。春や夏の晴れた日に現れるケースが多い。これは、地面が強い直射日光に熱せられることによって地表付近の空気の密度にむらが生じ、密度が不均一になった空気中を光が通過する際、不規則に屈折することで、そこに映る風景がゆらゆらと揺れて見えるという現象である。陽炎が起こるためには、限られた空間で密度の異なる空気が混ざり合うという条件が前提となるので、風が強く吹いて密度の違う空気が混じり合うことなく流されるような日には、たとえ晴れていても起こりにくいとされる。
陽炎と似た言葉に「蜃気楼」があるが、光の屈折によって生じる自然現象という共通点はあるとしても、両者は見え方の違いによって区別される自然現象である。陽炎は熱せられた地表が温度の異なる空気の混在をうみ、空気の密度を不均一にして、さまざまな方向へ光を屈折させることで風景をゆらめいて見せる。密度の異なる空気の混在で起こる現象なので、焚き火の上部や熱せられた自動車の屋根部分でも見られることがある。一方蜃気楼は、大気の層といった広い部分に温度差が生じることで、空気密度に差異が発生して光の屈折が起こるので、見える変化も大きく、風景が浮いて見えたり、逆さに見えたり、遠くにあるはずのものがすぐ近くに見えたりといったパノラマを展開することがある。
#「陽炎」とは・「陽炎」の意味を文学の中で捉えた場合
風景がゆらめいて見える陽炎は、文学の世界では「はかないもの」「のどかなもの」などの意味を帯びる。平安時代にさかのぼると、和歌の中で用いられる陽炎は、あるかなきかに見える、頼りなくてとりとめがないといった心情としてたとえられているケースが散見される。また、トンボの古称である「蜻蛉(かげろう)」と混用されて、はかないものやその心情をたとえる場合もある。時代が下り、江戸のころになると、陽炎は俳諧の春の季語として用いられるようになる。所出は江戸初期に編まれた俳書「毛吹草」で、句作に用いる言葉や資料を集め、句作の実例として四季に分けた発句、付合のうちの一つとして収録された。
#「陽炎」とは・「陽炎」の意味を自然現象、文学以外で捉えた場合
陽炎は、大日本帝国海軍の駆逐艦の名前でもある。陽炎と名付けられた駆逐艦は2隻あり、1隻は東雲型駆逐艦の5番艦で1899年に完成したもの。そしてもう1隻が陽炎型駆逐艦の1番艦で1939年に完成したものである。両者を区別して、東雲型駆逐艦の5番艦を「初代・陽炎」「陽炎1」という場合がある。
陽炎はまた、陽炎を神格化した仏教の守護神「摩利支天」をさす。もとはヒンドゥー教の神であったが、後に仏教に取り入れられた。常にその姿を隠し護身や勝利などを司る神として、日本では武士の守護神としてもあつく信仰された。
「陽炎」の読み方
「陽炎」の読み方には、「かげろう」「ようえん」がある。「陽炎」を「ようえん」と読むのは、一般的な音読みである。「陽炎」を「かげろう」と読むのは熟字訓の読み方である。熟字訓とは、2文字以上からなる漢字熟語を日本語1語で読む読み方である。そもそも漢字は、中国から伝来してきた言葉であり、これを日本語として読む場合は、1文字1文字について中国語本来の発音をもとに読み方を充ててきた。これが音読みである。それに対して訓読みは、漢字の持つ意味を日本語に置き換えていったところから生まれた読み方であり、中国語の音に基づいているわけではない。熟字訓は2文字以上の漢字の組み合わせを一つの言葉として、これ自体に訓読みを充てた読み方であるため、漢字単体には読み方を割り振ることができない。すなわち「陽炎」を熟字訓で読む場合は、「陽炎」自体に「かげろう」という訓読みが与えられており、「陽」「炎」に分解して読むことはできない。
「陽炎」の語源・由来
「陽炎」の語源・由来としては、現存する日本最古の歴史書である「古事記」、同じく日本最古の歌集である「万葉集」などの中に見える「かぎろひ」がもととなって生まれたとされる説が有力である。「かぎろひ」とは、「空を赤く染めるひかり」「夜明けがたのひかり」といった意味で、この時代には不思議な自然現象として捉えられていたともいわれる。万葉集の歌人、柿本人麻呂にはその様子を「今さらに雪降らめやもかぎろひの燃ゆる春へとなりにしものを」「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」のように詠んだ歌がある。「かぎろひ」の「かぎろ」は「きらきらひかる」といった意味の動詞「かぎろふ」の語幹で、「かぎろひ」の「ひ」はそのまま「火」をさしているので、「ゆらゆらとゆれてひかる炎」を意味する「かぎろひ」が、しだいに「陽炎」に転じていったものとされる。「陽炎」の表現・使い方
#一般的な「陽炎」の表現・使い方「陽炎」は、ものや風景がゆらゆらと揺れて見えるという意味から、通常の自然現象を表現するほかにも、「つかみどころがない」「錯覚している」「不思議である」などといった状況や状態を表現する際に適した言葉となる。「アスファルトに陽炎が立っているのが見える」「砂漠の中に建つ宮殿は陽炎の中で神秘的なシルエットを身にまとっていた」「昔のことで陽炎のように記憶があいまいである」「その表情は陽炎のようにはかなげである」などのような使い方をする。
#文学作品に見られる「陽炎」の表現
「陽炎」は古来多くの文学作品にその用例を見ることができる。俳句では「陽炎や柴胡の糸の薄曇(芭蕉「猿蓑」)」、「陽炎や名もしらぬ虫の白き飛(蕪村「蕪村句集」)」、「ちらちらと陽炎立ちぬ猫の塚(夏目漱石「漱石全集」)」、「掛けられて陽炎となる蓑一つ(長谷川櫂「初雁」)」など、近世から現代にいたるまで豊富にその表現を探すことができる。また、散文には「野と山にはびこる陽炎を巨人の絵の具皿にあつめて、ただ一刷に抹り付けた、瀲灔たる春色が、十里のほかに糢糊と棚引いている。(夏目漱石「虞美人草」)」、「彼は腕を組んだまま、ちょいと羨しそうな眼を挙げて、その若者を眺めたが、やがて彼等の群を離れて、たった一人陽炎の中を河下の方へ歩き出した。(芥川龍之介「素戔嗚尊」)」などといった表現が見られる。
#「陽炎」の類似表現
「陽炎」の類似表現としては「糸遊(いとゆう)」「遊糸(ゆうし)」「野馬(やば)」などがある。「陽炎」は春の季語だが、「糸遊」「遊糸」「野馬」ともに「陽炎」の子季語。子季語とは、親季語に対して子季語といい、親季語と同じ意味の言い換えとして用いたり、同じ概念でも句の性質によってニュアンスを変えて言い表したりする季語をいう。「糸遊」とは、晴れた春の日に、蜘蛛の子が糸に乗って風に流され空を浮遊する現象。光の具合で流れる糸が見えたり見えなかったりすることで、はかなさをたとえる表現にも用いられる。「遊糸」とは、漢語で「陽炎」の意味を表す言葉。「野馬」は「やば・かげろう」と読み、「陽炎」そのものをさす。出典は「荘子」で「野馬也、塵埃也、生物之以息相吹也。(野馬(かげろう)と塵埃(じんあい)と生物の息を以て相吹くなり)」に用例が見られる。
#「陽炎」の英語表現
「陽炎」を英語で表現する場合は、ゆらめき、陽炎といった意味を持つ「shimmer」を使う。「The air is shimmering with the heat.(陽炎が立っている)」などと使用する。
よう‐えん〔エウエン|エウヱン〕【妖艶/妖×婉】
よう‐えん〔ヤウ‐〕【楊炎】
読み方:ようえん
[727〜781]中国、唐の政治家。鳳翔(陝西(せんせい)省)の人。字(あざな)は公南。徳宗に召されて宰相となり、780年、戸税・地税からなる両税法を施行、安史の乱後の国家財政を立て直したが、のち徳宗の信任を失い、左遷のうえ讒(ざん)によって殺された。
よう‐えん〔エフ‐〕【葉縁】
よう‐えん〔エウヱン〕【×遥遠】
よう‐えん〔ヤウ‐〕【陽炎】
読み方:ようえん
「かげろう」に同じ。
「ようえん」の例文・使い方・用例・文例
ようえんと同じ種類の言葉
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