相馬氏 歴史

相馬氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 07:03 UTC 版)

歴史

もう一つの相馬氏の家紋「繋ぎ馬」

封建時代

系譜上は桓武天皇の子孫桓武平氏平将門と伝えられるが、直接の祖は千葉常胤の二男師常である[1]。師常は下総国相馬郡を領して相馬を称した[1]

文治5年(1189年)の奥州合戦で戦功をあげ、源頼朝より陸奥国行方郡福島県相馬郡)を与えられた[1]元亨3年(1323年)に相馬重胤が行方郡小高南相馬市小高区)に移住して本拠とするようになり、奥州相馬氏の祖となった[1]。これ以降一族の岡田氏や大悲山氏などと共に磐城地方(福島県東部)で勢力を拡大[1]南北朝争乱では北朝に属した[1]。天文9年(1540年)以降は伊達氏と勢力を争って抗争を繰り返した[1]

義胤の代に豊臣秀吉に臣従して小高の本領を安堵される[2][3]。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際に徳川家康の出陣要請に応じなかったため、戦後に改易されたが、慶長7年(1602年)に徳川家光誕生の慶事により義胤の息子利胤に本領が安堵された[4][2]。慶長16年(1611年)に宇多郡中村城へ移り、以降江戸時代を通じて中村藩6万石の外様大名家として続いた[2]。歴代藩主の官位は従五位下長門守讃岐守因幡守などが多い[5]

最後の中村藩主誠胤は、幕末の戊辰戦争では、仙台藩の圧力で奥羽越列藩同盟に参加したが、ただちに官軍に降伏したため、処罰はなく本領を安堵された[4][6]

明治以降

明治維新後の明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると相馬家も大名家として華族に列した[7][8]。最後の藩主の相馬誠胤は明治2年(1869年)6月24日の版籍奉還により中村藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県まで藩知事を務めた[6]。鎌倉時代から廃藩置県まで領地の場所が変わらなかった大名家は珍しかった[4]

明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同月8日に旧小藩知事[注釈 1]として誠胤が子爵に列せられた[10]

2代子爵孟胤宮内省に勤務し、新宿御苑勤務や式部官朝香宮御用掛などを歴任し、東京府の多額納税者でもあった[3]

3代子爵恵胤の代の昭和前期に相馬子爵家の邸宅は東京市淀橋区下落合にあった[3]

平成23年(2011年)の東日本大震災の際、当主相馬行胤(彼の父の代から北海道に移住していたが、先祖の旧領の福島県相馬市でシイタケ農園を経営して北海道と福島を行き来していた)は、福島第一原子力発電所事故の被災者20~30家族ほどの広島県東部神石高原町への集団移住を神石高原町町長牧野雄光とともに計画した[11]


  1. ^ 旧相馬中村藩は現米3万4610石(表高6万石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[9]
  1. ^ a b c d e f g h i 日本大百科全書(ニッポニカ)、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、世界大百科事典 第2版『相馬氏』 - コトバンク
  2. ^ a b c 新田完三 1984, p. 610.
  3. ^ a b c 華族大鑑刊行会 1990, p. 393.
  4. ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ)、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、世界大百科事典 第2版『中村藩』 - コトバンク
  5. ^ 新田完三 1984, p. 610-613.
  6. ^ a b 新田完三 1984, p. 613.
  7. ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
  8. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  9. ^ 浅見雅男 1994, p. 151.
  10. ^ 小田部雄次 2006, p. 332.
  11. ^ a b c 原発避難、「藩主」ら集団移住構想 相馬から広島へ - 朝日新聞 2013年4月16日(2013年5月1日時点のアーカイブ






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