展望車 展望車の概要

展望車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 06:14 UTC 版)

概説

日本国有鉄道(国鉄)における展望車の客車記号は「テ」であったが、電車1980年代以降に新造・改造された客車の展望車では、この記号を付さない場合が多い。

類似する例として「トロッコ列車」と呼ばれる種類の車両が存在する。純粋な観光路線等で、より開放的な展望を得る目的や、一種の特殊なアトラクションという性格をもって、風を感じられる側面が開放された構造の旅客車無蓋貨車を改造した車両などで運行される。

アメリカでの事例

日本における第二次世界大戦以前の展望車は、元々19世紀末期から20世紀前半の北アメリカで、長距離列車の最後尾に連結されていた展望車に範を採ったものである。

初期の展望車

初期の展望車の一例(イリノイ鉄道博物館にて保存)

1880年代アメリカ合衆国の鉄道で車両間の連結部分に可動式の渡り板を渡し、蛇腹状ので覆った貫通路構造が考案された。この「ベスティビュールカー(貫通式車両)」は、乗客が安全に車両間を往来できる利便性から、1890年代までに全米の鉄道に広く普及した。

車両間貫通路が整備されたことで、寝台と喫煙室、供食設備を1両に収めた車両を何両か連結する列車の代わりに、独立したラウンジカー、食堂車などを備えた列車を運行することが盛んになった。長距離を移動する際に一等旅客の憩いの場となるラウンジは、列車の最前部や最後部に設けられた。この時、列車の最後部に設けられたラウンジに、旅客誘致の目玉設備として設けられたのが展望室である。

1890年代から1920年代頃までのアメリカの展望車の形状は、日本の展望車とよく似ている。車両の一端、乗降用のデッキを少し広くした程のスペースが、景色を展望可能なオープンデッキとされた。ここには転落を防ぐための柵が取り付けられ、隣接する客室が展望室となっていた。この構造は日本の展望車でも踏襲されていた。

日本の展望車との違いは、21世紀初頭の日本の寝台特急におけるロビーカーと同様、展望室が乗車した各等旅客のフリースペースとなっていたことである。展望車車内のうち展望室を除いた残りのスペースは、開放式寝台ないし個室寝台で構成される客室とされるか、軽食用の供食スペースに充てられた。

オープンデッキ部分が気軽に利用されていたのも日本との相違点の一つで、椅子を置き、走行中にカードゲーム等をして楽しんでいる乗客の写真や、家族並んでの記念写真等が残されている。日本からの旅行客もその例外ではなく、日本人の視察団の記念写真も存在する。

無論、展望車を連結した列車は一等運賃や特別料金が要求されるプルマン寝台車で構成された優等列車が多く、利用に当たってはある程度の出費を必要としたが、それは一般旅行客の利用を妨げるほどの高値ではなかった。なお、一部の車両には密閉式の展望車も存在した。

「ジョージア300」上のバラク・オバマ

またアメリカの鉄道には企業幹部や資産家が貸切使用する客車「プライベートカー」が多数存在したが、その中にも展望室を設けたものが存在する。古い文献や写真、記録映画などで、政治家の地方遊説の際に描かれる展望車両は、多くはこの種の車両である。

なお、2009年1月17日バラク・オバマ次期大統領(当時)はフィラデルフィアから特別列車でワシントン入りし[1]、その最後尾には1930年プルマン社製の展望車「ジョージア300」(Georgia 300)が連結され、オバマは展望デッキから周囲にこたえた。

流線形展望車/ドームカー/2階建て車

カリフォルニア・ゼファー号」の展望車
ミルウォーキー鉄道で使われた「スカイトップ・ラウンジ」(手前)と「スーパードーム」(手前から2両目)
アムトラックスーパーライナー」の展望ラウンジ車内

アメリカで展望車が大きく変化したのは1930年代のことである。この時期に流線形デザインの軽量客車が開発され、優等列車向けに普及したが、それらの車両では滑らかな流線形を描く密閉式の展望車を設けることが一つのスタンダードとなった。また、これら展望車の発展系として1948年運行開始の「カリフォルニア・ゼファー号」等に連結された2階建て展望車「ビスタドームカー」を挙げることができる。こうした流線形の展望車の一部は、21世紀初頭でもカナダの鉄道における大陸横断列車カナディアンの展望車として運行されている(パーク・カーを参照)。また、アメリカ合衆国カリフォルニア州ナパバレー地方にあるナパバレー・ワイントレインでは、1952年製のビスタドームカーが連結された観光列車が現役運行中である[2]

展望ドーム車は編成の中間にも設けられた。前述のカリフォルニア・ゼファー号でも一部が2階建ての展望ドームとなった座席車が連結されたが、それとは別に車両全体が展望ドームとなった「フル・ドーム・カー」も製造されている。この例としてアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道(サンタフェ鉄道)向けの「ビッグ・ドーム」、シカゴ・ミルウォーキー・セント・ポール・アンド・パシフィック鉄道(ミルウォーキー鉄道)向けの「スーパー・ドーム英語版」などがある。ガラスドームのために重量が大きいのが特徴で、鋼製車のスーパードームは軽量構造にもかかわらず、112トンもの重量を有した。

また、1950年代の後半にはサンタフェ鉄道のシカゴ - ロサンゼルス間を結ぶ「エル・キャピタン号」用に全車2階建ての編成が新造された。エルキャピタン号は全車座席車だったので、2階建て車両は座席車とラウンジ車、食堂車であり、寝台車や最後尾用の展望車は製造されなかった。それまでの全車2階建て車両が通勤用として座席を増やし定員着席を目指してつくられた「ギャラリーカー」と呼ばれるものであったのに対し、この車両は展望を目的に建造されたというのが大きな違いである。この様式の車両はアムトラックの「スーパーライナー」に引き継がれ、寝台車も設けられた。スーパーライナーは西部の列車を中心に、アムトラックの長距離列車の主役として2018年時点も運行を続けている。

なお、旧来の展望車も一部が維持保存され、プライベートカーとして一般のアムトラック列車に併結され運転されることもある。これらは当該車両が貸し切りまたは私有であるため一般乗客の立ち入りはできない。

しかし、旧型展望車の中には先述のナパバレー・ワイントレインのように各地の観光鉄道(保存鉄道)で運行されているものもあり、これらを利用することで比較的低廉な価格で往年の展望車の旅の雰囲気を楽しむことができるようになっている。

その他の国と地域

台湾鉄路管理局の展望車

前述のように、アメリカの展望車は日本の展望車にも大きな影響を与えているが、特に線路や車両の規格がアメリカのものと類似していた日本資本の南満洲鉄道ではその傾向が強かった。

南満洲鉄道の代表的な展望車としては、1930年代に特急「あじあ」向けに製作されたテンイ8形が挙げられるが、これは当時アメリカで試作が進められた流線型の展望車を参考に製作されたもので、形態はまるきり本家アメリカ式の密閉式流線型である。この形式は21世紀初頭においても中国鉄道部において若干数が現存しているといわれている。

また、観光用のドームカーや通勤用の2階建て車両については、ドイツ国営鉄道がアメリカに先駆け、1930年代から製作している。1936年に製造されたガラス電車ET91」や、1962年から1976年に「ラインゴルト号」「ラインプファイル号」に連結されたドーム展望車等は世界的に知られている。また、フランスにも「オートラーユパノラミック」と呼ばれた単行運転のできるドーム展望室付き流線形のフランス国鉄X4200形気動車フランス語版が存在し、AGRIVAP発見列車フランス語版において動態保存されている。

このほか、現在のヨーロッパでは、風光明媚なアルプス山脈一体やリヴィエラ海岸を走行する急行列車には、現在でもオブザベーションカーが連結されているが、これは窓を天井まで広げ展望を良くした一等車氷河急行ベルニナ急行ゴールデン・パスモントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道 (MOB)およびツェントラル鉄道(zb)の区間では一等車に加え二等車)で、ドームカーの発展型である。

台湾鉄路管理局にはオープンデッキを備えた展望客車「PC32701号」があり、主に貸し切り車両として用いられている。


注釈

  1. ^ もしこの計画が実現していた場合は密閉式のスイテ30形が東海道線特急に使用され、山陽線特急にはマイテ39形が転用されていたかもしれないともいわれている。
  2. ^ アルファコンチネンタルエクスプレス」「フラノエクスプレス」「トマムサホロエクスプレス」 「サロンエクスプレスアルカディア(後・Kenji)」「リゾートライナー」「ゆぅトピア」「ゴールデンエクスプレスアストル」「スーパーサルーンゆめじ」「リゾートサルーン・フェスタ」「エーデル丹後・鳥取・北近畿」もハイデッカー展望車であった。
  3. ^ 加えて小田急20000形はハイデッカー構造とされた。
  4. ^ 2012年をもって「あさぎり」からは撤退し、両者とも富士急行の「フジサン特急」に転用された。

出典

  1. ^ 朝日新聞』朝刊2009年1月19日1・4面
  2. ^ About Our Train”. ナパバレー・ワイントレイン. 2015年3月10日閲覧。
  3. ^ 「展望車特別急行に連結」国民新聞明治45年5月23日 『新聞集成明治編年史. 第十四卷』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  4. ^ 以上戦後の変遷は、星晃「1等展望車変遷記」(『回想の旅客車』下巻、交友社、1985年、pp.270 - 283・学研、2008年、復刻版pp.96 - 109)による。
  5. ^ 京都鉄道博物館「マイテ49形」収蔵へ:豪華展望列車 乗り納め毎日新聞』夕刊2022年10月7日(社会面)2022年10月17日閲覧





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