前田真三 前田真三の概要

前田真三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 00:11 UTC 版)

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長男は写真家の前田晃で、父親が設立した写真事務所「丹渓」を継いでいる[1][2]

経歴

作風

前田真三が写真活動のために1967年昭和42年)に設立した会社の社名「丹渓」は、前田真三と南アルプスにある「丹渓山荘」(長野県伊那市)との親交から付けられたとされる。この社名から、前田真三の作風を「丹渓調」と呼ぶことがある。「風景写真は出合いの瞬間が大切」を持論としている。風景を撮影する際に、とかく一カ所に留まって天候や光線の状態が良くなる時を待ちながらシャッターチャンスをうかがうという消極的な姿勢になりがちなことに対し、前田真三の場合は、風景に出合った瞬間に手際よく写してゆくという、積極的に風景を求めてゆく姿勢で取り組んでいる。「風景はただ眺めていても、見えてはこない。積極的に風景に働きかけて、はじめて見えてくる」といい、そのためには「とにかくよく見、よく撮ること」「見るうちに撮るうちに、次第に風景が自ずと見出せるようになるはずだ」と論じている。作品を観た人からの「ずいぶん時間をかけて一枚の写真を撮るんでしょうね」との問いに対し、前田真三が「長い時間がかかっていますよ。私の人生と同じだけの」と答えるようにしているのは、この作品にたどり着くまでに多くの写真を撮り込んで経験を重ねてきたことを表しているのである。また、「風景は目で見た通りに撮る」ことも持論としている。そのために原則として、「目線で撮る」「手前から遠景まで全てにピントを合わせる」の2点を基本にしている。これは、人間が肉眼で日常見ている風景が、目線で見て、全部にピントが合っている風景であり、写真にしてもそれが一番自然に見えるからである。


  1. ^ 前田真三は「出会い」を「出合い」と記していたため、本項もそれに従った。
  1. ^ a b c d 【時を訪ねて 1971】「丘」の発見(美瑛町・上富良野町)色彩の魔術師 痺れた風景『北海道新聞』日曜朝刊別刷り2020年11月15日1-2面
  2. ^ 変わらぬ自然の美しさを、写真を通して伝え続けていく丹溪”. 日本写真エージェンシー協会 (jpaa) (2016年6月9日). 2017年4月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y SHINZO MAEDA”. フォトギャラリー拓真館. 2017年4月28日閲覧。
  4. ^ 過去の受賞者一覧「年度賞」”. 日本写真協会. 2017年4月28日閲覧。
  5. ^ 過去の受賞者一覧”. 日本写真協会. 2017年4月27日閲覧。
  6. ^ 作品募集のお知らせ 前田真三賞”. 風景写真出版. 2017年4月28日閲覧。






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