代表作『麦秋鮮烈』とは? わかりやすく解説

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代表作『麦秋鮮烈』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 00:11 UTC 版)

前田真三」の記事における「代表作『麦秋鮮烈』」の解説

東京から美瑛通って撮影活動開始してから6年後の1977年昭和52年7月20日。この日は東京から夕方美瑛到着したばかりで、日は既に西に傾いていた。東の空には重く真っ黒い夕立雲垂れこめており、日没には間に合わないかもしれないが、とにかく撮影出てみることにした。そして美瑛町新星緑ヶ丘達した時、偶然、濃紺夕立雲の下に広がる麦畑落日間際太陽照らし出し強烈な色彩放つ光景出合った最初に麦畑中に立つ一本白樺の木を入れたカット撮影し(『麦秋多彩』の題で発表される)、その十数分後、濃紺夕立雲の下に鮮烈な色を放つ赤麦畑のカット撮影した撮影後感動的な赤い閃光残して日は没した前田真三はこの光景撮影から、風景写真は駄目だと思ってもたえず挑戦する心掛けが必要であり、そこから必ず傑作生まれるものであるとの教訓得ている。後の方に撮影され写真当初麦秋暮色』という題で発表されたが、写真集『丘の四季』に収録する際に『麦秋鮮烈』に改題された。この作品前田真三代表作となり、写真集表紙のほか、一時期マイクロソフト社など広告媒体にも使われるようになった。なお、この時撮影され赤麦畑は「タクネコムギ」と呼ばれる品種であり、成熟すると他の品種より穂が赤み帯びるようになっている撮影され当初北海道内でよく栽培されていたが、収量少ないことからその後栽培面積激減し美瑛町内では栽培されないようになっていった。しかし、この『麦秋鮮烈』に触発され美瑛町有志により、1999年平成11年)から一部タクネコムギ復活栽培されるようになった

※この「代表作『麦秋鮮烈』」の解説は、「前田真三」の解説の一部です。
「代表作『麦秋鮮烈』」を含む「前田真三」の記事については、「前田真三」の概要を参照ください。

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