美瑛・上富良野との出合いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 美瑛・上富良野との出合いの意味・解説 

美瑛・上富良野との出合い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 00:11 UTC 版)

前田真三」の記事における「美瑛・上富良野との出合い」の解説

前田真三写真活動始めた当初は、美瑛について全く知らなかった東京都港区北青山株式会社丹渓を設立してから4年後の1971年昭和46年3月に、自動車による単独での日本縦断撮影旅行思い立ち同年4月1日九州最南端の佐多岬出発した。それから3ヶ月間、写真撮影しながら北上続け同年7月8日北海道宗谷岬達したが、その行程上で美瑛通過することはなかった。 宗谷岬からの帰途知人紹介で、旭川市在住写真好きの人の家に立ち寄り大雪山旭川付近撮影され写真見せてもらった。その中の一枚に、「傾斜した畑を農耕馬土煙上げて驀進してくるモノクローム写真」があった。前田真三はその写真背景写っている落葉松の丘が妙に心に残り撮影場所を問うと、「美馬牛峠付近とのことだったので、それから数日後その場所へ行ってみることにした。そして同年7月12日昼下がり前田真三はその美馬牛峠に差し掛かった美馬牛峠とは国道237号にあり、美瑛町上富良野町津郷との境界にある峠である。この時前田真三は、初め美瑛の丘の風景を目にした。丘を彩る一面ジャガイモの花、遠くには噴煙上げ十勝岳、そして丘の上整然と並んだ落葉松風景目の当たりにすると、これらがヨーロッパ田園風景を思わせた。これらの丘の風景に、これまで自身抱いてきた日本の風景とは異な新しい風景を発見し日本にもこんな所があったのか、と心打たれた。早速この風景撮影しようと三脚立てカメラ構えたところ、そこを通りかかって偶然その様子を見た津郷在住のある人から怒鳴られた。その当時、この津郷にゴルフ場をつくるという話があり、その人はそれに反対していた。このことから、前田真三様子ゴルフ場建設のための測量をしているものと勘違いしたであった風景写真を撮らせてもらっている旨を説明すると、その人拍子抜けした様子で、お茶でも飲んで行きなさいと前田真三を家に招じ入れたこの人上富良野町教育委員務めていたことから、前田真三写真活動をよく理解し以来この人からの支援もあって、前田真三美瑛上富良野丘陵地帯撮影足繁く通うこととなった。 この地区が、前田が心奪われたような風景になったのは、太平洋戦争後に陸軍第七師団演習場農地転用されて復員軍人らが開拓し農業機械導入で丘の稜線見えようになったためで、ちょうど前田通りかかる少し前の時期からであった

※この「美瑛・上富良野との出合い」の解説は、「前田真三」の解説の一部です。
「美瑛・上富良野との出合い」を含む「前田真三」の記事については、「前田真三」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「美瑛・上富良野との出合い」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「美瑛・上富良野との出合い」の関連用語

1
10% |||||

美瑛・上富良野との出合いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



美瑛・上富良野との出合いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの前田真三 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS