伊勢物語
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『伊勢物語』は、『竹取物語』と並ぶ創成期の仮名文学の代表作で[5]、また現存する日本の歌物語中最古の作品であり[8]、後世への影響力の大きさでは同じ歌物語の『大和物語』を上回り[4]、『源氏物語』と双璧をなすとも言われる[4]。
名称
当初は『伊勢物語』『在五物語[9]/在五が物語[2][3][4][5][7][9](ざいご が ものがたり)』『在五中将物語[2][4][9](ざいご ちゅうじょう - )』『ざい五中将の恋の日記[9]』『在五中将の日記[5][7]』『在五が集[9]』など様々に呼ばれていたが、平安時代末期には『伊勢物語』に統一されていった[9]。また、略称としては「在五中将[5]」「在中将[2][3][10]」と「勢語(せいご)[11]」が見られる。
係る書物(※『伊勢物語』と呼ばれることになる書物)の存在を示す記述の文献上初出は、『源氏物語』第17帖「絵合」に見られる和歌「伊勢の海の深き心をたどらずて ふりにし跡と波や消つべき(解釈例:伊勢の海の深く隠れている物語の心を味わおうともしないで、ただ古いからと波が消すように否定して良いはずがない。)」の「伊勢の海の深き心を」云々で、「在五中将」の名も含まれる前後の文章内容からこれが『伊勢物語』を指していることが分かる[12]。
古来諸説あるが、現在は、第69段の伊勢国を舞台としたエピソード(在原業平〈通名:在五中将〉と想定される男が、伊勢斎宮と密通してしまう話)に由来するという説が最も有力視されている。その場合、この章段がこの作品の白眉であるからとする理解と、本来はこの章段が冒頭にあったからとする理解とがある。前者は、二条后(にじょうのきさき。藤原高子の通称)や東下りなど他の有名章段ではなくこの章段が選ばれた必然性がいまひとつ説明できないし、後者は、そのような形態の本はむしろ書名に合わせるために後世の人間によって再編されたものではないかとの批判もあることから、最終的な決着はついていない。
また、業平による伊勢斎宮との密通が、当時の貴族社会へ非常に重大な衝撃を与え(当時、伊勢斎宮と性関係を結ぶこと自体が完全な禁忌であった)、この事件の暗示として「伊勢物語」の名称が採られたとする説も提出されているが、虚構の物語を史実に還元するものであるとして強く批判されている。さらに、作者が女流歌人の伊勢にちなんだとする説、「妹背(いもせ)物語」の意味であるとする説もある。
また、『源氏物語』「総角」の巻には、『在五が物語』(在五は、在原氏の第五子である業平を指す)という書名が見られ、『伊勢物語』の(ややくだけた)別称であったと考えられている。
内容・構成
定家本によれば全125段からなり、ある男の元服から死にいたるまでを数行程度(長くて数十行、短くて2~3行)の仮名の文と歌で作った章段を連ねることによって描く。章段の冒頭表現にちなんで、この主人公の男を「昔男」と呼ぶことも古くから行われてきたが、歌人在原業平の和歌を多く採録し、主人公を業平の異名で呼ぶ(第63段)などしているところから、主人公には業平の面影がある。ただし主人公が業平とあらわに呼ばれることはなく(各章段は「昔、男…」と始まることが多い)、王統の貴公子であった業平とは関わらないような田舎人を主人公とする話(23段いわゆる「筒井筒」など[注 2])も含まれている。中には業平没後の史実に取材した話もあるため、作品の最終的な成立もそれ以降ということになる。
各話の内容は男女の恋愛を中心に、親子愛、主従愛、友情、社交生活など多岐にわたるが、主人公だけでなく、彼と関わる登場人物も匿名の「女」や「人」であることが多いため、単に業平の物語であるばかりでなく、普遍的な人間関係の諸相を描き出した物語となりえている[注 3]。
複数の段が続き物の話を構成している場合もあれば、1段ごとに独立した話となっている場合もある。後者の場合でも、近接する章段同士が語句を共有したり内容的に同類であったりで、ゆるやかに結合している。現存の伝本では、元服直後を描く冒頭と、死を予感した和歌を詠む末尾との間に、二条后との悲恋や、東国へ流離する「東下り」、伊勢の斎宮との交渉や惟喬親王との主従愛を描く挿話が置かれ、後半には老人となった男が登場するという、ゆるやかな一代記的構成をとっている。一代記というフレームに、愛情のまことをちりばめた小話が列をなしてるさまを櫛にたとえて「櫛歯式構成」という学者もいる。さらに、そうした結合を相互補完的なものと見なし、章段同士を積極的につないでゆく読み方もある。
作中、紀氏との関わりの多い人物が多く登場することでも知られる。在原業平は紀有常(実名で登場)の娘を妻としているし、その有常の父・紀名虎の娘が惟喬親王を産んでいる。作中での彼らは古記録から考えられる以上に零落した境遇が強調されている。何らかの意図で藤原氏との政争に敗れても、優美であったという紀氏のありようを美しく描いているとも考えられる。
注釈
- ^ 東下りの途上にある男(※主人公)の一行は武蔵国と下総国の間を流れる隅田川を船で渡る。果てしなく遠くまで来たものだと皆が心細さを感じつつ都を恋しく思っていると、鴫(しぎ)ほどの大きさの鳥が水面を気ままに泳ぎながら魚を獲っているのが見えた。都では見ない鳥なので船頭にその名を訊いてみると、「都鳥(みやこどり)」だという。そこで男は次のように詠んだ。
それを聴いて船に乗っている人は一人残らず泣いてしまった。
- ^ ただし能の『井筒』では、この段の主人公は業平と同一視される。
- ^ この点が、同じく歌物語に属すとされながら、実在人物へのゴシップ的興味を前面に押し出している『大和物語』との顕著な相違点である。
- ^ 伊勢物語の重要な材料の一つに業平の歌集があったことは想定される。しかし明らかに『古今和歌集』との関係が強い章段も見られ、業平歌集と『伊勢物語』とは、一応別物であって単に筆を加えた物ではなく小説として書かれているのであり、古来根強く云われた業平の作という説は、近年[いつ?]は通用していない。[13]
- ^ 在原業平一門、源融を中心とする歌人仲間、伊勢、紀貫之等が擬せられている[14]。折口信夫(歌人・釈迢空)等は貫之作者説をとっていた。
- ^ ただし、北村季吟は『枕草子春曙抄』で、これを『語』第84段の「しはすばかりにとみのこととて御ふみあり」に関連付けて解釈し、「急用」の意であるとしている[16]。
- ^ 根源本奥書に「…後人以狩使事、書此物語之端。其本、殊狼藉左道物也。更不可用之」(九州大学所蔵伝為家筆本)とあり、また根源本によっては「伊行所為也」ともある。「伊行」とは藤原伊行のことで、この藤原伊行が「狩使本」の流布に関わっているという主張であるが、その真偽については定かではない。
- ^ ただし現在、東京国立博物館には『伊勢物語絵巻』三巻(摸本)が所蔵されているが、本来20段ほどのその章段の順序は125段本とは大きく相違し、冒頭には狩の使の段(69段)を置くことから、現存しない「狩使本」をもとにしているのではないかといわれている[20][21][22]。この絵巻は江戸時代の狩野派の絵師、狩野養信らによる摸本であるが、その原本は鎌倉時代に遡るものとされる[20][21][22]。
出典
- ^ 山下-春章, 07 と[09] MFA ※良質画像もあり.
- ^ a b c d e 小学館『デジタル大辞泉』. “伊勢物語”. コトバンク. 2020年5月26日閲覧。
- ^ a b c d e 三省堂『大辞林』第3版. “伊勢物語”. コトバンク. 2020年5月26日閲覧。
- ^ a b c d e f 平凡社『百科事典マイペディア』. “伊勢物語”. コトバンク. 2020年5月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g 旺文社『旺文社日本史事典』. “伊勢物語”. コトバンク. 2020年5月26日閲覧。
- ^ a b c 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “伊勢物語”. コトバンク. 2020年5月26日閲覧。
- ^ a b c d 鈴木日出男、小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』. “伊勢物語”. コトバンク. 2020年5月26日閲覧。
- ^ a b c d 日立デジタル平凡社『世界大百科事典』第2版. “伊勢物語”. コトバンク. 2020年5月26日閲覧。
- ^ a b c d e f 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “在五物語”. コトバンク. 2020年5月26日閲覧。
- ^ 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “伊勢物語”. コトバンク. 2020年5月26日閲覧。
- ^ “勢語”. コトバンク. 2020年5月26日閲覧。
- ^ 河地修 (2010年8月24日). “第12回『伊勢物語』作品論のために(一)- 伊勢物語論のための草稿的ノート”. 個人(研究者)ウェブサイト. 2020年5月27日閲覧。
- ^ 大津 1982 [要ページ番号]
- ^ 参考:雨海 1987 [要ページ番号]
- ^ 山下-春章, 30 ま[82] LACMA ※良質画像もあり.
- ^ a b c d 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “僻の物語”. コトバンク. 2020年5月27日閲覧。
- ^ 三省堂『大辞林』第3版. “井筒業平河内通”. コトバンク. 2020年5月27日閲覧。
- ^ 日立デジタル平凡社『世界大百科事典』第2版、小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』. “競伊勢物語”. コトバンク. 2020年5月27日閲覧。
- ^ 高樹のぶ子さん×林望さん 伊勢物語と源氏物語の魅力 小説「業平」刊行 いま古典を読む意義語り合う『日本経済新聞』電子版(2020年6月12日)2020年8月6日閲覧
- ^ a b 山田 1966 [要ページ番号]
- ^ a b 伊藤 1984 [要ページ番号]
- ^ a b 田口 2003 [要ページ番号]
- ^ “勢語臆断”. コトバンク. 2020年5月27日閲覧。
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