モノレール 簡易型モノレール

モノレール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 09:50 UTC 版)

簡易型モノレール

横浜病院の「ごんたん」(横浜市保土ケ谷区

遊園地のアトラクションや博覧会場内の移動用としての簡易なモノレールもさまざまな会社で製造されている。

横浜市保土ケ谷区狩場町にある育生会横浜病院のモノレールは、国道1号権太坂バス停付近)と高台にある病院を結ぶ。病院が高台へ移転した際に、鉄道ファンの理事長の発案で設置された。ちよだ製作所(香川県高松市)の製造である。病院公式サイトでは、名物モノレール「ごんたん」として紹介されている。当初の塗色はクリーム色と黄緑色のツートンカラーであったが、2016年に湘南電車の色に変更され、下り側に「急行 東海」のヘッドマークシールが貼付され、上り側は病院グループのマークシールが貼付されている。[26]

つくばで行われた国際科学技術博覧会の会場内交通機関として使われた「ビスタライナー」を製造した泉陽興業は、同システムを発展させた「ニュービスタライナー」をローコストで軽量級の交通機関として提案している[27]。同様に、スイスを拠点とする遊戯施設メーカー・インタミンも実用モノレールをラインナップしており[28]モスクワや中国深圳での採用実績がある。イギリスに本拠を置く遊戯施設メーカー・セヴァーン・ラムもSLシリーズという実用モノレールを製造しており、アミューズメントパークの交通機関だが、イタリアのサヴォイで採用実績がある。

かつて考案された古典的な方式

モノレールあるいはモノレールに類似した交通システムには、考案されたが実現しなかったもの、ごくわずかな実例しか存在しなかったもの、一時期はある程度普及したがその後廃れたもの、などがたくさん存在する。一部を歴史順に記す。

パーマー式

フリードリッヒ・ハーコートドイツ語版によるパーマー式モノレールの図解

高い位置にレールを通し、そこから車両をぶら下げる懸垂式モノレール。荷台・客室は左右に振り分けられ、バランスを取っていた。ヘンリー・ロビンソン・パーマー(Henry Robinson Palmer)英語版が開発したもので、1821年11月22日にイギリスで特許が登録されている。1824年にロンドンのデプトフォード造船所に荷物輸送用のものが作られ、翌1825年ハートフォードシャーに旅客輸送用モノレールが開設された。のちにランゲン式を採用したヴッパータール空中鉄道を建設することになるヴッパータールでもパーマー式モノレールの導入が検討されたが、実現はしなかった。当初の動力は馬・人・ラクダ(北アフリカ産)などだったが、詳細不明ながら遅くとも1878年頃までに蒸気動力が導入されていたことがわかっている[29]

本方式が一般的に「世界最初のモノレール」とされている。

ユーイング式

ユーイング式

1本のレールに車体が乗り、車体の片側に取り付けられた幅広の車輪で支持して転倒しないようにして走行する方式。19世紀後半(1868年頃?)にイギリス人発明家のチャールズ・ユーイング (Charles Ewing) により考案されたものと考えられている。ユーイング式は、線路に全重量の95%程度がかかるように設計されており、走行抵抗は通常の鉄道と大差ない程度におさえられている。レールを1本しか必要としないため敷設コストが節約できるほか、線路が占有する幅員が狭いために道路と同居しやすいという利点があった。案内は一本の軌条が行うが、全重量をその軌条が負担するわけではなく、厳密には案内軌条式鉄道に分類される。

本方式はイギリス人のウィリアム・サロルド (William Thorold) が具体化し、インドのパティアーラ州立鉄道 (PSMT) に導入された。PSMTは1910年に開通した路線で、馬力鉄道として開通したのちにオーレンシュタイン・ウント・コッペル社製造の蒸気機関車が導入され、全盛期は2路線で80kmの行程であった。

PSMTは道路の改良と自動車の出現によって1927年に廃止され、長らく存在が忘れられていたが、1962年に再発見された。後年に車両は保管されてインドのニューデリー鉄道博物館で動態保存されている。

リロイ・ストーン式

リロイ・ストーンのセンテニアル・モノレール

1876年に行われたアメリカ合衆国建国百年記念博覧会の会場にセンテニアル・モノレールとして設置されたものであり、極初期、あるいは最初の跨座式モノレール。リロイ・ストーン将軍(General Leroy Stone)により考案された。A字型の橋脚の上に一条、下に左右に二条のレールを持ち、上の車輪で車重を支え下の車輪でバランスを取る方式である。3点で車体を支える方法は跨座式モノレールのひとつの様式となり、その後のラルティーグ式アルヴェーグ式ロッキード式などにも踏襲されている。

本方式は、すべての車輪は両フランジで、動力は蒸気である。その後の「跨座式」と類似のレイアウトであり、すでに全高が高くなる欠点が顕在化していた。下側車輪の左右に垂れ下がった車体の部分を機関車では水槽や炭庫として使い、客車ではそこにも客席を設けてダブルデッカー構造としてスペースを有効に活用すべく努力した形跡が認められる。

ラルマンジャ式

ラルマンジャ式

中央の一本のレールを誘導用として使用し、両側に取り付けられたフランジの無い幅広の車輪で駆動・支持して走行する方式。両側の車輪は木製の板の上を走行する。フランスのジャン・ラルマンジャ (Jean Larmanjat) により考案された。案内は一本の軌条が行うが、全重量をその軌条が負担するわけではないため、厳密には案内軌条式鉄道に分類される。

類似した発想に基づくユーイング式では一条の鉄軌道が大半の重量を負担したが、ラルマンジャ式はそうはなっていない。鉄軌条は、全車両の案内と機関車など重量車両の重量の大半の負担を受け持っていたが、客車などの軽量車両はその重量の大半を側車輪が負担するようになっていた。客車は、馬車などに中央の鉄軌条による案内を付け加えたような構造となっていた。

1868年8月にフランスでイベント用交通機関として実用化され15か月間使用されたという記録が残っているが、詳細は解明されていない。

その後、1870年代にリスボンの市街鉄道で使用された。両側の走行用の板が早く傷んでしまい、乗り心地も悪かったため普及に至らなかった。

マイグス式

マイグス式

上下に1本ずつ計2本全4面を持つレールを設置し、下部のレールを外側に傾いて設置された車輪で両側から挟み込んで車重を支え、上部のレールを水平に設置された車輪で両側から挟み込んでバランスを取る方式の跨座式モノレール。アメリカのジョー・V・マイグス (Joe V. Meigs) により考案されたもので、1886年マサチューセッツ州ケンブリッジで試験的に使用された。これは都市での高架鉄道の試行のひとつであり、ルート28の上に敷設された[30]

一般に跨座式モノレールの場合、軌道桁の上面で車両重量を支えるが、マイグス式では軌道桁の下部で支えている。そのため軌道桁から床面までの距離を詰められるという特徴があった。この考え方は、のちの「逆T字方式」と呼ばれる方式のモノレールにも共通するものである。

ラルティーグ式

ラルティーグ式

A字型の支柱の上と支柱の下の左右に合計3条のレールが設けられており、上のレールで車輌重量を支え下のレールで車体を安定させるという方式。アルジェリアなどでパーマー式懸垂式モノレールの建設に携わっていたシャルル・ラルティーグ (Charles Lartigue) が開発したもので、これは跨座式モノレールとしてはポピュラーな様式であり、アメリカ合衆国建国百年博覧会で披露されたリロイ・ストーン式モノレールなどの先例がある。

1888年3月1日にリストウェル・パリブニオン鉄道(アイルランドケリー県)の14.4kmの路線が開通した。動力は蒸気で、3軸式の機関車が用意された。この路線は1924年にアイルランド内戦によって破壊されたことから廃線となった。2002年に短い区間ではあるが観光目的で復元され、レプリカの車両で運転されている[31]。機関車は蒸気機関車風の外装になっているが、ディーゼル機関車である。

他に営業に使われた路線としてはフランスのフュール=パニシエル鉄道がある。開通は1893年で、延長は16.9キロだった。この路線は1902年に廃止された。蒸気機関車が1両、保存されている。

最後のラルティーグ式モノレールは、1924年にアメリカ合衆国カリフォルニア州のマグネシウム鉱山・クリスタルヒルとトローナの鉄道駅との間を結んだものだったと考えられている。こちらでは内燃機関を積んだ機関車が使われた。これは20世紀後半になって開発された産業用モノレールに酷似していた。

ラルティーグ式の欠点は踏切が作れないことで、踏切を設けざるを得ない場所では必要に応じて線路を取り外すという方法が採用されていた。分岐器は最後まで開発されず、やや湾曲したレールを持つターンテーブルによって代替されていた。

ボイントン式

ボイントン式

アメリカのイーベン・ムーディー・ボイントン (Eben Moody Boynton) により考案された方式で、上下に1本ずつ計2本のレールを設置し、下部のレールに車重がかかり、上部のレールで車体を支持する方式である。跨座式にも懸垂式にも分類できない。レールを2本有し厳密にはモノレールではないが、一般的に黎明期のモノレールの一種と理解されている。

1890年にコニーアイランド付近の廃止された線路を流用した路線でボイントン自転車鉄道 (Boynton Bicycle Railway) がこの方式のデモンストレーションを行った[32]

1910年から1914年にかけて、ニューヨーク市ブロンクスのペラム公園 & シティアイランド鉄道 (Pelham Park and City Island Railroad) で採用されたが、脱線事故を起したことから短命に終わった。右写真はこの時期の電車。

後にイギリスのエルフリック・カーニー (Elflic Kearney) が改良型を考案し、ロンドンの地下鉄用に提案した。

ジャイロスコープ式

ブレナン式

オーストリアのルイス・ブレナン (Louis Brennan)、ドイツのアウグスト・シェールル (August Scherl)、ロシアのピョートル・シロフスキー (Piotr Schilovski) によってそれぞれ1900年頃考案された。1本の通常のレールの上を無支持で走行する。レールを1本に減らせば摩擦力が半減し、その分速度を倍増でき、高速走行時の蛇行動もなくなるという理論の元で考案された方式である。大型のジャイロスコープが車体に搭載され、車体の傾きに応じてジャイロスコープの軸が傾き、ジャイロ効果による復元力でバランスを取る仕組みになっている。シロフスキー式は1921年にソ連のレニングラードからツァールスコエ・セローまでの建設が、ブレナン式はインドの北西部での建設がそれぞれ検討されたが、資金難により実現しなかった。

ジャイロその他の装置に多くの費用が掛かることが欠点である。鉄道車両の走行抵抗は転がり抵抗空気抵抗からなり、後者は速度の2乗に比例する(すなわち速度が2倍になると空気抵抗は4倍になる)。そのため、レールを1本に減らしたところで速度を倍増するほどの効果はない。反動トルクを打ち消すために複数のジャイロを使用する場合、ジャイロごとの大きさや回転数が異なればそれによってモーメントが発生し、姿勢制御にも影響する。逆にジャイロの回転数を積極的に加減することで曲線通過時に車体を内傾させるなど、能動的に姿勢を変える方法もある。

ラウル式

ランゲン式と同じような発想の非対称型懸垂式構造のモノレールだが、推進装置を台車に組み込まずプロペラで推進するというもの。フランスで1919年頃試験線が建設されたが、詳細な記録は残されていない。

1930年にジョージ・ベニー (George Bennie) が改良型の試験線をグラスゴー近郊のミルンギャヴィー (Milngavie) に建設した。こちらの方はレールプレーン (Railplane) と呼ばれ、最高時速120マイルを目指して計画された。レールプレーンは、安定性を確保するために下部にもう1本振れ止めのレールを追加しており、厳密にはモノレールではない(下部レールは車体重量は負担しない)。当時、日本にも「軌道飛行機」として紹介された。第二次世界大戦の金属供出のため、試験線は1941年に撤去された(1950年代という説もある)[33]

のちに、フランスでプロペラ(のちジェットエンジン)を推進装置として使用したアエロトランが開発され実験された。こちらは懸垂式ではなく、走路の上に車体が乗る案内軌条式鉄道に類似していた。アエロトランも実用化はされなかった。

スカイウェイ

スカイウェイ

ランゲン式と類似した発想の非対称型懸垂式構造のモノレールだが、ゴムタイヤを使っている。1956年にアメリカ合衆国のヒューストンに試験線が作られ[34]、8か月のテストののちに解体されダラスに移転[35][36]、しばらく使われた。

動力は310馬力の内燃機関を2台搭載しており、案内はレール上面に設けられた板状のガイドレールによって行われた[37]。運転士はレール下のキャビンではなくレール上の台車に搭乗して運転した[38]。想定での最高速度は160km/hであり、都市近郊(インターアーバン)や都市間の高速交通機関として使うことを想定して作られたが、実用化されることはなかった。

ロープモノレール

ロープモノレールは、軌条に金属レールではなくワイヤー状の鋼索を用いた日本の東京索道が開発したものである。形状からロープウェイとどちらに分類されるかは議論が残るが、動力を車両に持つという点でモノレールに分類される。

動力は電気ではなく、唯一の実例である五台山ロープモノレールはディーゼルエンジンであるように内燃機関を採用して車両となるゴンドラに装備し、鋼索軌道にかかるローラーを駆動することで走行する。このためゴンドラは、一般的な鋼索ロープウェイと異なり気動車に分類される。スカイレールとは逆で軌条はロープであるが動力は各車に搭載しているため、通常のロープウェイと異なり状況に応じて各ゴンドラの走行速度を調整することができる。安全な運行には信号設備が不可欠であるが、他種のモノレールより敷設コストが安く、電化も不要である。

1969年高知市五台山に観光用として五台山ロープモノレールが敷設されたが、当時の定期観光バスのルートから外れていたため集客に苦慮し、1978年に廃止となった。

東京索道は五台山ロープモノレールの開発と建設に約50件の特許を取得したと言われるが、以降、この種の鉄道・軌道線は海外も含め建設されていない。

年表

  • 1820年頃、ロシアのモスクワ近郊の村Mychkovoでロシア人技術者イワン・エリマノフ(Иван Кириллович Эльманов; Ivan Kirillovich Elmanov)が馬に引かせるタイプのモノレールを発案したとする記録がある。ただし、それが実用化されたのか、どのような構造のものかなどは、不明[39]
  • 1821年11月22日にイギリスのヘンリー・ロビンソン・パーマーがパーマー式モノレールの特許を申請。これは懸垂式のもので、動力は馬である。1824年に貨物用として実用化、1825年に旅客用が開通した。
  • 1829年にマクセル・ディックが軌道レールの下にレールを付加して転落を防止するように改良し、特許を申請。
  • 1868年にバラクロウフ・フェルが跨座式と懸垂式をミックスしたような方式のモノレールを考案、バロー・イン・ファーネス近郊で、鉄道駅との間で利用開始。動力は馬であった。
  • 1868年、フランスでラルマンジャ式モノレール(案内軌条式鉄道)が15か月にわたって試用された。この方式は1870年頃にリスボンにも導入された。
  • 1869年にJ・L・ハッドンが、シリアでモノレールを建設。これは、通常の鉄道だと砂漠の砂で線路が埋まってしまうためである。
  • 1872年リヨンリヨン国際博覧会で会場内で利用される。
  • 1876年、アメリカ合衆国フィラデルフィアで開催されたアメリカ合衆国建国百年博覧会にリロイ・ストーン式モノレールが登場しデモンストレーションが行われた。跨座式で動力は蒸気。
  • 1878年、アメリカ合衆国ペンシルベニア州に6.4キロ長の工事用モノレールが作られたとの記録が残されている。1本の上にまたがり左右の重量バランスを取って走る方式で、蒸気を動力とする。機関車のボイラーが爆発事故を起こしたことから早々に廃線となった。
  • 1886年、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジでマイグス式モノレールが建設された。独特の構造を持つ跨座式で、動力は蒸気。
  • 1887年、アメリカ合衆国ニュージャージー州で懸垂式モノレールが建設された。後に実用化されるランゲン式モノレールに類似したもので、電化された最初のモノレールでもあった。
  • 1888年、アイルランド・ケリー県で跨座式の一種ラルティーグ式を採用したリストウェル・パリブニオン鉄道が開業。1924年に内戦によって被災し廃線になるまで実用的交通機関として機能した。動力は蒸気。
  • 1890年、アメリカ合衆国でボイントン式モノレールが提案され、デモンストレーションが行われた[40]。動力は蒸気。
  • 1900年頃、ジャイロスコープ式モノレールが提案された。これは1本のレールの上に自立するもので、懸垂式にも跨座式にも分類できない。提案されたにとどまり、実用化はなされなかった。
  • 1900年、ロシアの発明家イッポリト・ロマノフ(Ипполита Владимировича Романов Ippolit Vladimirovich Romanov)が開発した懸垂式モノレールが、現在のレニングラード州に属するガトチナ市に作られたという記録がある[39]。延長は0.2キロの試験的なもので、電気動力を採用していた。
  • 1901年、ドイツで懸垂式のランゲン式を採用したヴッパータール空中鉄道が開業した。電気動力を採用。この路線は、世界最古の実用モノレールとして21世紀初頭現在も盛業中である。
  • 1910年、アメリカ合衆国ニューヨーク市ブロンクスでボイントン式を採用した路線が開通した。動力は電気。この路線は1914年に廃止された。
  • 1910年、インドのパティアーラ州にユーイング式モノレール(案内軌条式鉄道)が開業した。州立鉄道のシステムとして採用されたもので、1927年まで実用的な交通機関として使われた。動力は蒸気。
  • 1911年、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルでウィリアム・ボイエスがモノレールを試作している。木製の軌道を採用して大胆に建設費用の低減をはかったが、実用化しなかった。
  • 1914年、イタリアのジェノヴァで博覧会向け交通システムとして跨座式モノレールが作られた。これはのちのアルヴェーグ式に類似していた。
  • 1919年、フランスでラウル式モノレールの試験線が建設された。これはランゲン式と類似の支持方式を持つ懸垂式モノレールで、駆動方法はプロペラだった。
  • 1924年、アメリカ合衆国カリフォルニア州で最後のラルティーグ式モノレールが開業。マグネシウム鉱山の産業用軌道である。
  • 1930年、イギリスでラウル式モノレールを改善した形式のモノレールの試験線が建設された。「ジョージ・ベニーのレールプレーン」と呼ばれたが、実用化しなかった。
  • 1952年アルヴェーグ式モノレールの試験線が建設された。アルヴェーグ式はその後の跨座式モノレールの基本となったもの。
  • 1956年、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストンに懸垂式の「スカイウェイ」と呼ばれるモノレールの試験線が建設された。ランゲン式をアレンジしたような様式のもので動力は内燃機関。8か月のテストののち、このモノレールはダラスに払い下げられ、「トレイルブレイザー」として1964年まで使われた。
  • 1957年、日本で懸垂式の上野式モノレールが開業した。
  • 1957年、アルヴェーグ式モノレールの開発が一段落し、発表された。
  • 1959年、アメリカ合衆国のディズニーランドがアルヴェーグ式モノレールを実用的交通機関として開業した。
  • 1960年、フランスにサフェージュ式モノレールの試験線が建設された。この試験はその後7年にわたって行われた。
  • 1961年、イタリアのトゥーリンでアルヴェーグ式モノレールが開業。
  • 1962年、アメリカ合衆国のシアトルでアルヴェーグ式モノレールが開業。
  • 1964年、日本の東京でアルヴェーグ式の東京モノレールが開業。
  • 1964年、アメリカ合衆国ニューヨークの万国博覧会でIビーム懸垂式のモノレールが使われた。
  • 1966年、日本の川崎姫路で跨座式のロッキード式モノレールが開業。

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  3. ^ The Switch Myth
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  13. ^ 同イベントの記録ページ(英語)
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  28. ^ [1]
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  32. ^ サイエンティフィック・アメリカン誌 (March 28,1891) のアーカイヴ
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  37. ^ Photograph of LIFE archive
  38. ^ Photograph of LIFE archive
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