モスクワオリンピック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/19 13:04 UTC 版)
このページの名前に関して改名が提案されています。 議論はプロジェクト‐ノート:オリンピック/オリンピック関連記事命名方針の最終決定 (続き)を参照してください。(2017年1月) |
モスクワオリンピック | |
---|---|
第22回オリンピック競技大会 Games of the XXII Olympiad |
|
開催都市 | ソビエト連邦 モスクワ |
参加国・地域数 | 81 |
参加人数 | 5,217人(男子4,093人、女子1,124人) |
競技種目数 | 21競技203種目 |
開会式 | 1980年7月19日 |
閉会式 | 1980年8月3日 |
開会宣言 | レオニード・ブレジネフ |
選手宣誓 | ニコライ・アンドリアノフ |
審判宣誓 | アレクサンドル・メドベド |
最終聖火ランナー | セルゲイ・ベロフ |
主競技場 | レーニン・スタジアム(現ルジニキ・スタジアム) |
Portal:オリンピック |
目次
大会開催までの経緯
ソ連は1952年のヘルシンキオリンピックでオリンピックに初参加してから、常に国別のメダル争いで上位に立ち、ステート・アマと呼ばれるトップ選手の金メダル獲得を国威発揚に活用していた。その集大成として、自国の首都モスクワでのオリンピック開催を目指すようになった。
一方、オリンピック自体は巨大化の弊害が見え始め、1972年のミュンヘンオリンピックでのテロ事件(ミュンヘンオリンピック事件)などもあり、開催都市への負担が大きくなってきた。
その中で、スポーツ大国のソ連が運営を全面的に担うというモスクワ開催は支持を集め、1974年10月23日、オーストリアのウィーンで開かれた第75回国際オリンピック委員会総会でモスクワでの1980年夏季大会の開催が決定された。
都市 | 国 | 1回目 |
---|---|---|
モスクワ | ソビエト連邦 | 39 |
ロサンゼルス | アメリカ合衆国 | 20 |
モスクワでの初の開催の決定を受けて、大会施設の建設が急ピッチで行われた他、旧態化していたモスクワの当時の空の玄関であるシェレメーチエヴォ国際空港のターミナルの大幅改修なども行われた。
ボイコット問題
冷戦下において東側諸国の盟主的存在であるソ連で行われたこの大会は、前年1979年12月に起きたソ連のアフガニスタン侵攻の影響を強く受け、集団ボイコットという事態に至った[1]。
主な国の動向
冷戦でソ連と対立するアメリカ合衆国のカーター大統領が1980年1月にボイコットを主唱し、日本、分断国家の西ドイツや韓国、それに1979年10月の国際オリンピック委員会(IOC)理事会(名古屋開催)でIOC加盟が承認されていたが、1960年代以降ソ連と対立関係にあった中華人民共和国、イラン、パキスタンといったソ連の軍事的脅威に晒されアフガニスタン同様の事態を恐れる諸国、および反共的立場の強い諸国など50カ国近くがボイコットを決めた[1]。
一方で、西欧・オセアニアの西側諸国の大半、すなわちイギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどは参加した[1]。イギリスではボイコットを指示した政府の後援を得られず、オリンピック委員会が独力で選手を派遣した。
また、フランス、イタリア、オランダなど7カ国は競技には参加したものの開会式の入場行進には参加せず、イギリス、ポルトガルなど3カ国は旗手1人だけの入場行進となった[1]。
これらの参加した西側諸国は概ね国旗を用いず、優勝時や開会式などのセレモニーでは五輪旗と五輪賛歌が使用された。ただし、ギリシャは国旗を用いている。
日本
- ボイコット決定前 - 日本では決定前からモスクワオリンピック参加確定をほぼ疑わない空気が醸成されており、協賛企業のTVCMでは”頑張れニッポン!モスクワは近い!”と煽るフレーズが盛り込まれていたほか、後述の『めざせモスクワ』リリースや、日本アニメーション製作の『こぐまのミーシャ』が放映されるなど、プレイベントが各媒体で大々的に行なわれていた。
- 1980年2月 - 前月のアメリカからの西側諸国への要請を受け、日本政府は大会ボイコットの方針を固めた[1]。一方、日本オリンピック委員会(JOC)は大会参加への道を模索した。
- 1980年4月 - 日本政府の最終方針としてボイコットがJOCに伝えられた。多くの選手はJOC本部で大会参加を訴えた。
- 1980年5月24日 - JOC総会の投票(29対13)でボイコットが最終的に決定された(なおこの採決は挙手によるもので伊東正義官房長官(当時)も出席しており、各競技団体の代表者には参加に投票した場合には予算を分配しないなどの圧力がかけられていた)[1]。
- 1980年6月11日 - JOC常任委員会、モスクワ五輪日本選手団(幻のメンバー)を承認し、同時に大会への不参加を確認する。
前後のボイコットとの関連
モスクワオリンピックへのボイコットを呼びかけた中心的存在であったアメリカが開催する予定になっていた、次(1984年)の夏季オリンピックであるロサンゼルスオリンピックには、アメリカのグレナダ侵攻を理由に多くの東側諸国が報復としてボイコットした。なかでもイランはモスクワオリンピックとロサンゼルスオリンピックを両方ともボイコットしている。
なお、前回のモントリオールオリンピックでは南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策に絡みアフリカ諸国の多くがボイコットをしたが、今回の五輪ではその大半が復帰した。
一方で、モスクワオリンピックをボイコットした韓国で次々回1988年に開催されたソウルオリンピックにはソ連をはじめとする大半の東側諸国(北朝鮮は除く)も参加し、大規模なボイコットにようやく終止符が打たれた。
めざせモスクワ
この大会に前後して、西ドイツのポップグループであるジンギスカンがモスクワをモデルにして作った曲『めざせモスクワ』が世界的にヒットした。西ドイツはモスクワオリンピックをボイコットしたにもかかわらず、これが縁でジンギスカンはモスクワオリンピックに招待された。
日本でもバオバブシンガーズ(ぷろだくしょんバオバブ所属声優のユニット)やダークダックスによってカヴァーされた。前者はオリンピックを強く意識した歌詞、後者はオリンピックとまったく関係ないモスクワ観光的な歌詞だった。
実施競技
|
|
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『昭和55年 写真生活』p14-15(2017年、ダイアプレス)
- ^ ミーシャの孫、ソチ五輪終幕告げる 日刊スポーツ 2014年2月24日閲覧
- ^ a b c d e f 1980 Summer Olympics Official Report from the Organizing Committee, vol. 2, p. 379
- ^ していたこともあった。柔道:幻の五輪代表が定年 大阪府警の師範・香月さん - 毎日新聞 2015年03月26日 18時32分
- ^ 後に、山際淳司の短編集「スローカーブを、もう一球」(「江夏の21球」が収録)で「たった一人のオリンピック」として紹介された。
- ^ 冬季は1936年の稲田悦子 (フィギュアスケート) がいる。
- 1 モスクワオリンピックとは
- 2 モスクワオリンピックの概要
- 3 大会の結果
- 4 大会マスコット
- 5 関連項目
1980年モスクワオリンピック
(モスクワオリンピック から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 09:46 UTC 版)
1980年モスクワオリンピック(1980ねんモスクワオリンピックロシア語: И́гры XXII Олимпиа́ды)は、1980年(昭和55年)7月19日から8月3日までの16日間、ソビエト連邦(現:ロシア連邦)の首都・モスクワで開催されたオリンピック競技大会。一般的にモスクワオリンピックと呼称される。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『昭和55年 写真生活』p14-15(2017年、ダイアプレス)
- ^ a b c d 『プーチンとロシア革命: 百年の蹉跌』p213 遠藤良介著、ISBN 4309227554
- ^ Secret US plot to steal Moscow's Olympic flame, Daily Telegraph
- ^ “モスクワと東京、重なる権力の影 80年ボイコットから来年で40年”. スポニチ. (2019年12月23日) 2023年7月4日閲覧。
- ^ “О спорт, ты — мир! 2 серия (док., реж. Юрий Озеров, 1981)”. Киноконцерн "Мосфильм". 2021年11月1日閲覧。
- ^ ミーシャの孫、ソチ五輪終幕告げる 日刊スポーツ 2014年2月24日閲覧
- ^ a b c d e f 1980 Summer Olympics Official Report from the Organizing Committee, vol. 2, p. 379
- ^ 週刊TVガイド 1980年8月8日号 p.30「REPORT」
- ^ “最もついていない男”クレー射撃元日本王者・石原敬士さん「神様がくれた機会、しっかりやれ」 SANSPO.COM 2020年5月24日
- ^ 柔道:幻の五輪代表が定年 大阪府警の師範・香月さん - 毎日新聞 2015年03月26日 18時32分
- ^ “【二十歳のころ 坂本勉氏<1>】伸び盛り高校生…あっという間にモスクワ代表に”. Cyclist. (2017年9月16日) 2021年5月3日閲覧。
- ^ a b “「お前は国に従いなさい」「いつか復讐したい」41年前モスクワ五輪ボイコット、人生を狂わされた選手たちの“その後””. NumberWeb. (2021年4月24日) 2021年5月3日閲覧。
- 1 1980年モスクワオリンピックとは
- 2 1980年モスクワオリンピックの概要
- 3 大会の結果
- 4 主な金メダリスト
- 5 大会マスコット
- 6 再招致
- 7 外部リンク
固有名詞の分類
- モスクワオリンピックのページへのリンク