1980年モスクワオリンピック
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主な金メダリスト
- アラン・ウェルズ(イギリス、陸上競技男子100m)
- ピエトロ・メンネア(イタリア、陸上競技男子200m)
- スティーブ・オベット(イギリス、陸上競技男子800m)
- セバスチャン・コー(イギリス、陸上競技男子1500m)
- ミルツ・イフター(エチオピア、陸上競技男子5000m、10000m)
- リュドミラ・コンドラチェワ(ソビエト連邦、陸上競技女子100m)
- マリタ・コッホ(東ドイツ、陸上競技女子400m)
- ナデジダ・オリザレンコ(ソビエト連邦、陸上競技女子800m)
- ユーリ・セディフ(ソビエト連邦、陸上競技男子ハンマー投)
- デイリー・トンプソン(イギリス、陸上競技男子十種競技)
- ルディ・フィンク(東ドイツ、ボクシングフェザー級)
- アレクサンドル・ディチャーチン - (ソビエト連邦、男子体操団体総合、個人総合他。金3個、銀4個、銅1個を獲得し、アテネオリンピックのアメリカのマイケル・フェルプスと並ぶ個人の一大会最多獲得メダル記録を持つ。)
- ニコライ・アンドリアノフ(ソビエト連邦、体操男子団体総合、種目別跳馬)
- ナディア・コマネチ - 女子体操の平均台と床運動。「白い妖精」。ルーマニア。
- ウラジミール・サルニコフ - 男子競泳自由形1500m。人類史上初の「14分台スイマー」。ソビエト。
- ビルギット・フィッシャー - 女子カヤック。この大会からアテネオリンピックまで金8個、合計12個のメダルを獲得。東ドイツ。
- ワルデマール・チェルピンスキー - 男子マラソン。モントリオールオリンピックに続く2連覇。東ドイツ。
- テオフィロ・ステベンソン - 男子ボクシングヘビー級。ミュンヘン以来の3連覇。キューバ。
- ジンバブエ女子ホッケー代表 - 西側諸国のボイコットにより急遽繰り上げ出場となり、オリンピック初実施の同種目で同国として初の金メダルを獲得。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『昭和55年 写真生活』p14-15(2017年、ダイアプレス)
- ^ a b c d 『プーチンとロシア革命: 百年の蹉跌』p213 遠藤良介著、ISBN 4309227554
- ^ Secret US plot to steal Moscow's Olympic flame, Daily Telegraph
- ^ “モスクワと東京、重なる権力の影 80年ボイコットから来年で40年”. スポニチ. (2019年12月23日) 2023年7月4日閲覧。
- ^ “О спорт, ты — мир! 2 серия (док., реж. Юрий Озеров, 1981)”. Киноконцерн "Мосфильм". 2021年11月1日閲覧。
- ^ ミーシャの孫、ソチ五輪終幕告げる 日刊スポーツ 2014年2月24日閲覧
- ^ a b c d e f 1980 Summer Olympics Official Report from the Organizing Committee, vol. 2, p. 379
- ^ 週刊TVガイド 1980年8月8日号 p.30「REPORT」
- ^ “最もついていない男”クレー射撃元日本王者・石原敬士さん「神様がくれた機会、しっかりやれ」 SANSPO.COM 2020年5月24日
- ^ 柔道:幻の五輪代表が定年 大阪府警の師範・香月さん - 毎日新聞 2015年03月26日 18時32分
- ^ “【二十歳のころ 坂本勉氏<1>】伸び盛り高校生…あっという間にモスクワ代表に”. Cyclist. (2017年9月16日) 2021年5月3日閲覧。
- ^ a b “「お前は国に従いなさい」「いつか復讐したい」41年前モスクワ五輪ボイコット、人生を狂わされた選手たちの“その後””. NumberWeb. (2021年4月24日) 2021年5月3日閲覧。
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