ウラジミール・サルニコフとは? わかりやすく解説

ウラジミール・サルニコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/10 03:13 UTC 版)

獲得メダル

ウラジミール・サルニコフ
競泳
オリンピック
1980 400m自由形
1980 1500m自由形
1980 800mリレー
1988 1500m自由形
世界水泳選手権
1978 Berlin 400 m freestyle
1978 Berlin 1500 m freestyle
1982 Guayaquil 400 m freestyle
1982 Guayaquil 1500 m freestyle
1978 Berlin 4×200 m freestyle
1982 Guayaquil 4×200 m freestyle
ヨーロッパ水泳選手権
1977 Jönköping 1500 m freestyle
1981 Split 1500 m freestyle
1981 Split 4×100 m freestyle
1981 Split 4×200 m freestyle
1983 Rome 400 m freestyle
1983 Rome 1500 m freestyle
1981 Split 400 m freestyle
ユニバーシアード
1983 Edmonton 400 m freestyle
1983 Edmonton 1500 m freestyle
フレンドシップ・ゲームズ
1984 Moscow 1500 m freestyle

ウラジミール・サルニコフ(Vladimir Valer'evich Salnikov, Владимир Валерьевич Сальников, 1960年5月21日 - )は、旧ソ連レニングラード(現サンクトペテルブルク)出身の元競泳選手。「泳ぐ精密機械」とも称された。

プロフィール

サルニコフは1980年代を代表する男子の長距離自由形競泳選手であり、人類史上初めて15分の壁を破る世界記録をモスクワオリンピックで達成している。この記録は100m当たりのスプリットタイムが1分を切る画期的記録で、当時人類の夢といわれ、20世紀中の達成は難しいと言われた。

モスクワオリンピック本番ではサルニコフのライバルと目されたアメリカのブライアン・グッデルらがボイコットにより不参加となり、事実上サルニコフの独泳であった。その状況でも世界記録を樹立した決勝でサルニコフはほとんどぶれのないスプリットを刻み、「精密機械のような泳ぎ」と報じられた。

無敵のまま迎えた1984年ロサンゼルスオリンピックは東欧諸国のボイコットで不参加であり、2年後の世界選手権では全盛期の面影が無く決勝でも最下位(8位)で惨敗しサルニコフの時代は終わったかに思われたが、1988年ソウルオリンピックでは下馬評にも挙がらないほどの低評価だったにもかかわらず、サルニコフはこの種目の優勝候補だったアメリカオーストラリア勢を下し見事に2度目の金メダルを獲得して有終の美を飾った。

主な成績

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