ウラジミール・ツヴェトコフとは? わかりやすく解説

ウラジミール・ツヴェトコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/10 03:25 UTC 版)

ウラジミール・ツヴェトコフ
Vladimir Tsvetkov
選手情報
生年月日 (1980-11-02) 1980年11月2日(42歳)
出生地 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
身長 180 cm
元パートナー ミリアム・シュタイネル
元コーチ Martin Skotnicky
元振付師 Werner Lipowski
引退 2004年
ISUサイト バイオグラフィ
獲得メダル
フィギュアスケート
ジュニアグランプリファイナル
2000 エア アイスダンス
2001 ブレッド アイスダンス
■テンプレート ■選手一覧 ■ポータル ■プロジェクト

ウラジミール・ツヴェトコフロシア語ラテン翻字: Vladimir Tsvetkov, ロシア語: Владимир Цветков, 1980年11月2日 - )は、ロシアモスクワ出身の男性アイスダンス選手。1999年、2000年ISUジュニアグランプリファイナル3位。パートナーはミリアム・シュタイネルなど。

経歴

ロシアのモスクワに生まれ、3歳のときにスケートを始めた。やがてアイスダンスに転向。ユリア・ラリナとのカップルを経て、のちにパートナーを求めてロシアからドイツに渡り、1997年11月にミリアム・シュタイネルとカップルを結成した。

1999-2000年シーズンからISUジュニアグランプリ(JGP)に参戦し、翌2000-2001年シーズンにはJGPブラオエン・シュベルター杯とJGPメキシコ杯で2位、初進出のISUジュニアグランプリファイナルでは3位となり頭角を現した。2000-2001年シーズンにはJGPSBC杯でISUジュニアグランプリ初優勝を飾り、2年連続の出場となったJGPファイナルでは3位となる。

2002-2003年シーズンからシニアクラスに転向し、ISUグランプリシリーズに参戦。ドイツ選手権では2位となるなど活躍したが、シーズン終了後にカップルは解散し、引退。

引退後はプロスケーターとして活動し、のちにフィギュアスケートコーチ兼振付師に転進。現在はアイスダンス選手を中心に多くの選手の指導を行っている。

主な戦績

大会/年 1999-00 2000-01 2001-02 2002-03
ドイツ選手権 2
GPラリック杯 7
GPボフロスト杯 6
世界Jr.選手権 5 4
JGPファイナル 3 3
JGPSBC杯 1
JGPハーグ 3
JGP B.シュベルター杯 2
JGPメキシコ杯 2
JGPチェコスケート 6
JGPクロアチア杯 4

詳細

2002-2003 シーズン
開催日 大会名 CD OD FD 結果
2002年11月14日-17日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯パリ 7 7 7 7
2002年11月8日-10日 ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯ゲルゼンキルヒェン 6 6 6 6

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウラジミール・ツヴェトコフ」の関連用語

ウラジミール・ツヴェトコフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウラジミール・ツヴェトコフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウラジミール・ツヴェトコフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS