テティス テティスの概要

テティス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/25 14:40 UTC 版)

テティス
Θέτις
海の女神
テティスを捕らえようとするペーレウス描いたアッティカ赤絵式キュリクス紀元前490年エトルリア)。パリフランス国立図書館、キャビネ・デ・メダイユ所蔵
ネーレウスドーリス
兄弟 ネーレーイデスアムピトリーテーガラテイアプサマテー他)
子供 アキレウス
テンプレートを表示

ホメーロスヘーシオドスからは「銀の足のテティス」と呼ばれている[9][10]。ギリシア神話の他の水域の神々と同様にあらゆるものに変身する能力を持ち、予言の才能に長けていた。神話では古い海神ネーレウスの娘でありながらオリュムポスの神々と密接に結びついている。ホメーロスの叙事詩イーリアス』などによるとテティスを養育したのはヘーラーとされ、テティスもヘーラーに恩を感じていた。またテティスは苦難に陥った神々の救済者・保護者として語られ、ゼウスポセイドーンから求婚されたことも伝えられている。『イーリアス』ではアキレウスの運命を悲嘆しながらも、息子に尽力する母として大きく取り上げられており、物語が展開するうえでの重要人物として描かれている。テティスとペーレウスの結婚は『イーリアス』でもしばしば言及されており、また前日譚である失われた叙事詩『キュプリア』では2人の結婚がトロイア戦争のきっかけとなったことが語られていた。紀元前7世紀ごろのスパルタ出身の抒情詩人アルクマーンはテティスに関する詩を作った。アルクマーンの詩は現存するわずかな断片から宇宙論的な性格のものであったと推測されている[注釈 1]

ヘーロドトスパウサニアースの著作によってマグネーシア地方[12]、およびラコーニア地方とメッセニア地方で崇拝されたことが知られている[13][注釈 2]

神話

救済者・保護者としてのテティス

神々の反乱を鎮める

ジョン・フラックスマンが描いたテティス(1793年)。ブリアレオースを喚び出し、ヘーラー、ポセイドーン、アテーナーからゼウスを救う様子を描いている。

『イーリアス』におけるテティスは困難に直面した神々の救済者として語られている。かつてオリュムポスヘーラーポセイドーンアテーナーが反乱を起こし、ゼウスを拘束するという事件が起きた。このとき神々の中でただ1人テティスだけがゼウスの味方をした。テティスはヘカトンケイルの1人ブリアレオース(別名アイガイオーン)に知らせ、ゼウスの味方として馳せ参じさせた。すると神々はブリアレオースを恐れるあまりゼウスに近づくことさえ出来なかった。テティスはそのすきに縄を解いてゼウスを解放した[15][注釈 3]

他の神々の保護

またテティスは鍛冶神ヘーパイストスや酒神ディオニューソスを苦難から助け出した。ヘーパイストスは生まれてまもなく母のヘーラーによって天から海に捨てられた。これはヘーラーがヘーパイストスの不自由な足を嫌ったためと語られている。しかしテティスとエウリュノメーはヘーパイストスを助け9年の間海底で匿った。その間ヘーパイストスは2人のために様々な宝飾を制作した[17][注釈 4]

テティスがディオニューソスを救ったのはトラーキアの残忍な王リュクールゴスに襲われたときである。リュクールゴスはニューセイオンの山でディオニューソスの乳母を追い回し、女たちを撲殺しただけでなくディオニューソスを脅喝した。ディオニューソスは命からがら海に逃げ込み、恐怖で震えていたところをテティスに助けられた[20][21]

こうした経緯からゼウス、ヘーパイストス、ディオニュソースはいずれもテティスとアキレウスに親切であった。トロイア戦争においてゼウスはテティスを通じて届けられたアキレウスの願いを聞き入れ[22]、ヘーパイストスはテティスの依頼に応じてアキレウスのために見事な武具を作り上げた[23]。またディオニュソースは黄金の骨壷を授けた[24]

神々の求婚

イストミア祝勝歌

テティスが英雄ペーレウスと結婚した経緯についてはいくつかの説がある。ピンダロスによるとテティスはゼウスポセイドーンから結婚を望まれた。しかしテミスが「テティスは父親よりも偉大な子供を生む定めにあり、子供は長じてゼウスの雷撃やポセイドーンの三叉戟を越える武器を振るうだろう」と予言した。それだけでなく、むしろ人間に与えて生まれた子供は戦場で戦死させるのが良いと助言し、イオールコスで最も敬虔な英雄ペーレウスと結婚させることを勧めた。この物語ではテティスと結婚することは、ゼウスあるいはポセイドーンの息子から王権を簒奪するライバルが出現することを意味している。そのため彼らはテティスとの結婚を諦めざるを得ない。またテティスから生まれてくる子供の運命についても示唆されている[25]

アイスキュロス悲劇縛られたプロメーテウス』はこの物語を下敷きとしている。プロメーテウスは母テミスから教えられたとして、ゼウスと結婚する女性が強い子供を生み、王位を簒奪すると予言する。アイスキュロスはどの女性から簒奪者が生まれるかについては明言していないが、アポロドーロスヒュギーヌスはプロメーテウスの予言した女性をテティスとしている[26][27]。特にアポロドーロスは予言者をテミスとする説に加えてプロメーテウスの名を挙げて「生まれてきた子が天の支配者となる」と述べている。これに対してオウィディウスは予言者を海の老人プローテウスとしている[28]

テティスの系図(ヘーシオドス神統記』他より)
 
 
 
 
 
ネーレウス
 
ドーリス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
プサマテー
 
 
アイアコス
 
 
エンデーイス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ポーコス
 
テラモーン
 
ペーレウス
 
テティス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アキレウス
 
デーイダメイア
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
オレステース
 
ヘルミオネー
 
ネオプトレモス
 
アンドロマケー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ティーサメノス
 
 
 
 
 
モロッソス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

キュプリア断片

叙事詩『キュプリア』によると、モーモスがトロイア戦争を起こすためテティスを人間と結婚させることをゼウスに助言した。ヘーラーに好意的であったテティスはゼウスの求婚を避けたため、怒ったゼウスは彼女を人間に娶すことを誓った[29]

ネメア祝勝歌

一方、これらの説と異なる伝承をやはりピンダロスが伝えている。それによるとテティスはケイローンの助言を受けたペーレウスに取り抑えらえ、炎やライオンなど様々なものに変身して逃れようとしたが、とうとう観念して妻になることを認めたという[30][26]

ペーレウスとの結婚

アブラハム・ブルーマールトの絵画『ペレウスとテティスの結婚』(1638年)。デン・ハーグマウリッツハイス美術館所蔵。

こうして2人は結婚することになった。結婚式ペーリオン山で行われた。結婚式には神々も祝福に訪れ、さまざまな贈り物をした。このときケイローンはとねりこの槍を贈り、ポセイドーンは馬のクサントスバリオスを贈った[26](『イーリアス』ではアキレウスがこれらを用いている)。

結婚式にはすべての神が招かれたが、争いの神エリスだけは招かれなかった。エリスは怒って宴席に乗り込み、「最も美しい女神に贈る」として黄金の林檎を投げ入れた。この林檎をめぐって3人の女神ヘーラーアテーナーアプロディーテーが争った。ゼウスは仲裁するためにイーリオスプリアモスの息子で、現在はイーデー山で羊飼いをしているパリス(アレクサンドロス)に判定させることとした(パリスの審判)。女神たちは様々な約束をしてパリスを買収しようとしたが、結局「最も美しい女を与える」としたアプロディーテーが勝ちを得た。「最も美しい女」とはすでにスパルタメネラーオスの妻となっていたヘレネーのことで、これがギリシアのトロイア戦争の原因となった[31]

アキレウスの出産と別離

ルーベンスの『ステュクスの流れにアキレウスを浸すテティス』(1630年-1635年頃)。ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵。

結婚後、テティスはペーレウスとの間に多くの子供を産んだと伝えられている。ところがテティスは子供の不死性を確かめるため赤子を水の満ちた大釜に投じては溺死させた。こうして多くの赤子が死んだため、ペーレウスは怒ってテティスの行動を阻んだ。このとき助かった赤子が後のアキレウスである[32]

テティスがアキレウスを不死にしようと試みたことも伝えられている。テティスがアキレウスの踵を掴んでステュクスの流れに浸すと身体の大部分は不死となった。しかし踵はステュクスに浸からなかったため、アキレウスの唯一の弱点となった[33]エレウシスデーメーテール神話とよく似た伝承によると、テティスは毎晩のようにアキレウスを火にくべて人間の部分を焼き、昼間はアムブロシアを塗り、不死を与えようとした。しかしテティスはこの行いを秘密にしていたため、夜にその光景を目撃したペーレウスは驚いてテティスを止めた。目的を阻まれたテティスはアキレウスと夫を捨てて海に去った[34][35]。その後アキレウスはケイローンのもとで養育された[35]

しかしテティスは夫や子供のことを忘れたわけではなかった。ペーレウスがアルゴー船の冒険に参加したとき、ヘーラーに説得されて[36]アルゴナウタイがパイアーケス人の国にたどり着くまでの間、荒波とプランクタイの岩礁から船を救った。すなわちテティスは岩礁を避けるため船の舵を取り、またネーレーイデスは船の周りを廻り、船が岩礁に近づくたびに船を持ち上げて空中に投じ、岩礁から遠ざけた[37][38][注釈 5]

またアキレウスが9歳のとき、ミュケーナイアガメムノーンらはトロイアに遠征する準備を進めており、カルカースの予言によってトロイア攻略にどうしてもアキレウスの力が必要とされた。しかしテティスはアキレウスが戦争に参加したら必ず死ぬことを予知し、アキレウスに女装させてスキューロス島リュコメーデース王に女として育てるよう預けた。しかしアキレウスはオデュッセウスによって女装を見破られ、戦争に参加することになった[40]

トロイア戦争

テティスはトロイア戦争では息子のために献身的に行動し、またアキレウスの死に関して多くの予言をしている。海を渡ったギリシア軍がテネドス島を攻撃したとき、テティスがテネース王(アポローンの子キュクノスの子)を殺せばアポローンの報復を受けて死ぬことになると予言した。しかしそれにもかかわらずアキレウスはテネースを殺してしまう[41]。またテティスはトロイアに最初に上陸した者は必ず命を落とすと予言したため、誰も船から降りようとしなかった。このときピュラケーの武将プローテシラーオスが勇敢にも真っ先に上陸し、トロイア軍との最初の戦闘でヘクトールに討たれた[42]

『イーリアス』

アンソニー・ヴァン・ダイクの絵画『ヘパイストスからアキレウスの武具を受け取るテティス』(1630年-1632年)。ウィーン美術史美術館所蔵。

『イーリアス』ではアキレウスの言葉によると「戦場に留まれば生きて帰国できないが、すぐに帰国したならば天寿を全うできる」と予言し[43]、トロイアの城壁の下でアポローンの矢を受けて命を落とすこと[44][注釈 6]、またパトロクロスが死ぬことも予言していた[46]

『イーリアス』第1巻でアガメムノーンの要求に激怒したアキレウスはアガメムノーンが謝罪するまで戦うことを拒否した。このときアキレウスの嘆きを聞いたテティスは海底から現れ、アキレウスの望みをかなえるためにオリュムポスのゼウスの王宮に行き、アガメムノーンがアキレウスに謝罪して復帰を要請するまで、トロイアの味方をしてギリシア軍を苦しめてほしいと懇願する。テティスがゼウスの前に座り、左手で膝に触れ、右手でゼウスのあごに触れながら懇願するとゼウスは沈黙していたが、再度の懇願でしぶしぶ承諾した[47]。これ以降ギリシア人は連日苦戦を強いられることとなった。

アキレウスの代わりに出陣したパトロクロスがヘクトールに討たれたときも、テティスは海底で息子の悲痛な叫びを聞き、悲しみに囚われる。慰めようとする姉妹たちにテティスは漏らす。「私は成長した息子をトロイアに送り出しましたが、再び彼をペーレウスの王宮で迎えることは出来ないでしょう。息子はまだ生きていますが、私が行っても彼の抱える悩みには何の助けにもならないのです。それでも戦場から遠ざかっている間にどんな悲しいことがあったのか聞くために参りましょう」。そう言って姉妹たちを引き連れて海から現れたテティスは、親友の仇を取ろうとはやるアキレウスに、ヘクトールを討った後でアキレウス自身も死ぬことになると予言し、戦場に出るのを止めようとした。しかしこの言葉はアキレウスを苛立たせただけであり[48]、アキレウスの意志を変えられないと分かると、オリュムポスのヘーパイストスの工房に行き、武具を失った息子のために新たな武具の制作を依頼した[49][23]。またアキレウスがパトロクロスの遺体の腐敗を心配するので、遺体の鼻孔からアムブロシアーとネクタルを体内に滴らせ、腐敗から保護した[50]

24巻ではアキレウスがヘクトールを討ち、その遺体を戦車に結びつけてパトロクロスの墳墓の周囲を引き回したため、ヘクトールを憐れんだ神々からヘルメースを遣わして遺体を盗み出すという意見が出た。しかしテティスから恨まれることを嫌ったゼウスはアキレウスの面目を立てることを第一に考え、イーリスにテティスを呼びに行かせた。テティスがオリュムポスに現れると、ゼウスは彼女にアキレウスがヘクトールの遺体を返還するよう働きかけることを依頼する。そこでテティスがゼウスの意志を伝えるとアキレウスはその要請に応じ、密かにギリシア陣営を訪れた老王プリアモスを招き入れる[51]

テティスとエーオース

戦うアキレウスとメムノーンの背後に両英雄の母テティスとエーオースが描かれている。イタリアヴルチ英語版から出土したアッティカ黒絵式アンフォラ(前510年頃)。州立古代美術博物館英語版所蔵。

叙事詩『アイティオピス』ではアキレウスが女神エーオースの子メムノーンを打ち倒してアンティロコスの仇をとったこと、テティスがゼウスにアキレウスの不死を願ったが、パリスとアポローンに殺されたことが語られていた。パウサニアスは『キュプセロスの箱』にアキレウスとメムノーンの戦いおよび2人を見守るテティスとエーオースが彫刻されていたと述べており[52]、その様子を描いた壷絵も多く発見されている。アイスキュロスは現存しない悲劇『魂の重さ比べ』において、ゼウスがアキレウスとメムノーンの魂を秤にかけて死すべき者を決定し、その両脇でテティスとエーオースが自分の息子を勝者とするよう嘆願する様を描いたと伝えられている[53]

アキレウスの葬礼

『オデュッセイア』によるとアキレウスの死を知ったテティスは姉妹のネーレーイデスとともに海底から現われた。すると周囲に不気味な叫び声が響き渡ったため兵士たちは恐怖にとりつかれ、ネストールがアキレウスの母である女神が現れたのだと言って混乱を鎮めなかったなら、みな船に逃げ込むところだった。海の女神たちは嘆きの声をあげながらアキレウスの遺体の周りに立って不滅の衣を着せ、9人のムーサイは嘆きの歌を歌い、兵士たちの心を打った。このように女神と人間たちは17日に渡って死を悼んだのち18日目に遺体を火葬した。そしてアキレウスとパトロクロスの骨がディオニューソスから贈られた黄金の骨壷に一緒に納められ、またアンティロコスの骨も別に収められ、3人ともに同じ墳墓に葬られた。その後、アキレウスの葬礼競技が催され、テティスは神々から授けられた品々を賞品として出した[54]

テティスがネーレーイデスやムーサイとともに現れて息子の死を嘆いたとする伝承はプロクロスや[55]クイントゥスピロストラトスも伝えている。クイントゥスによるとアキレウスの死がネーレーイデスに知れ渡ると彼女たちの嘆く声がヘレスポントス中に響き渡り、ヘリコーン山からはムーサイもやって来た。このときゼウスがギリシアの兵士たちに気力を注いだおかげで彼らは女神の集団を目にしても恐怖にとりつかれずにすんだ。また、カリオペーや、ネーレウス、ポセイドーンといった神々がテティスを慰めたが、特にポセイドーンの「アキレウスがディオニューソスやヘーラクレースのように神となって永遠に生きる」という言葉はテティスの苦しみを和らげた[56]

ピロストラトスはテティスたちが現れたとき海水が盛り上がって岸に近づいてくるという不思議な現象が起きたこと、毎晩のように息子の死を嘆くテティスの声が全軍に響き渡ったことを述べている[57]。また死後に不死となったアキレウスはヘレネーと結婚して黒海レウケー島で暮らしたとも伝えられているが、この島をピロストラトスはテティスがアキレウスのためにポセイドーンに願って海から現出してもらったものだとしている[58]

悲劇作品におけるテティス

エウリーピデース『アンドロマケ―』

エウリーピデース悲劇アンドロマケー』はトロイア戦争後のプティーア地方の都市ファルサロスの北東に位置するテティディオン英語版[注釈 7](現在のテティディオギリシア語版)を舞台としている。この地名はテティスの聖域の意であり、結婚したテティスとペーレウスが暮らした場所とされ、地名もテティスに由来する[63]

トロイア戦争から帰国したネオプトレモス(アキレウスの子)はプティーアの支配をペーレウスに任せ、テティディオンで妻ヘルミオネーと奴隷として連れ帰ったアンドロマケーとともに暮らしていた。しかしネオプトレモスとアンドロマケーとの間に1子(モロッソス)が生まれると、これを恨みに思ったヘルミオネーは、ネオプトレモスの留守中に、父メネラーオスと協力してアンドロマケーとその子供を殺そうとする。そのためアンドロマケーは子供を他所に預け、自分はテティスの神殿に逃げ込む。その後はペーレウスによって救われるが、ネオプトレモスはオレステースによって殺される。テティスは劇のエピロゴスでデウス・エクス・マーキナーとして登場する[64]。テティスはペーレウスにネオプトレモスをデルポイに埋葬してオレステースの罪を後世に伝えることを命じ、アンドロマケーはヘレノスと結婚しネオプトレモスの子はモロッシア王家の祖となること、またペーレウス自身は不老不死の神となり、ネーレウスの館で自分とともに暮らすであろうと予言する。最後にペーレウスがテティスと結婚したペーリオン山に思いをはせて劇は終る。


注釈

  1. ^ Bowra (1961) 25-6, Barrett (1961) 689, West英語版 (1963) 154-56, West (1967) 1-15, Penwill (1974) 15, Detienne and Vernant (1978) ch.5, Segal (1985) 179.[11]
  2. ^ Der Kleine Pauly はテッサリアー地方,スパルタ,ギュテイオン,エリュトライで崇拝されたとする[14]
  3. ^ 紀元4世紀ごろのクイントゥスがヘーパイストス、ディオニューソスを保護したエピソードとともに簡単に言及するという例はあるが[16]『イーリアス』以外ではほぼ知られていない伝承である。
  4. ^ ホメーロス風讃歌』第3歌「アポローン讃歌」やアポロドーロスではヘーパイストスを助けたのはテティス1人となっている[18][19]
  5. ^ 古代ローマの詩人カトゥルスの詩によると、ペーレウスがテティスを見染めたのはアルゴー船が出航した際に、テティスがアムピトリーテーのお供として見物に現れたときである[39]
  6. ^ アキレウスに討たれたヘクトールが息を引き取る前に予言した言葉ではパリスとアポローン[45]
  7. ^ 古代では以下の表記が知られている。テティディオン(Θετίδιον, Thetidion[59][60]、テティデイオン(Θετίδειον, Thetideion[61]、テスティデイオン(Θεστίδειον, Thestideion[62]
  8. ^ クリューセーイスの返還を求める老神官クリューセース(1巻)と息子ヘクトールの遺体の返還を求める老王プリアモス(24巻)、それを追い返すアガメムノーン(1巻)と迎え入れてもてなすアキレウス(24巻)という対比。
  9. ^ M. M. Willcock (1964) 143, M. W. Edwards (1987) 67.[75]

脚注

  1. ^ ヘーシオドス『神統記』244行。
  2. ^ アポロドーロス、1巻2・7。
  3. ^ ヒュギーヌス『天文譜』2巻18。
  4. ^ ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』1巻558への古註。
  5. ^ クレータのディクテュス、1巻14、6巻7。
  6. ^ ヘーシオドス『神統記』1006行-1007行。
  7. ^ アポロドーロス、3巻13・5-13・6。
  8. ^ シケリアのディオドロス、4巻72・6。
  9. ^ 『イーリアス』18巻127行。
  10. ^ 『神統記』1006行。
  11. ^ a b c d Noriko Yasumura, Cosmogonic Fragment of Alcman (Oxyrhynchus Papyri XXIV).
  12. ^ a b ヘロドトス、7巻191。
  13. ^ パウサニアス、3巻14・4-5。
  14. ^ a b 角田幸彦「ホメロス作品世界の精神史的考察 新稿」。
  15. ^ 『イーリアス』1巻396行-406行。
  16. ^ クイントゥス『トロイア戦記』2巻。
  17. ^ 『イーリアス』18巻。
  18. ^ 『ホメーロス風讃歌』第3歌「アポローン讃歌」319行-320行。
  19. ^ アポロドーロス、1巻3・5。
  20. ^ 『イーリアス』6巻。
  21. ^ アポロドーロス、3巻5・1。
  22. ^ 『イーリアス』1巻488行-530行。
  23. ^ a b 『イーリアス』18巻368行-617行。
  24. ^ 『オデュッセイア』24巻73行-75行。
  25. ^ ピンダロス『イストミア祝勝歌』第8歌27行-47行。
  26. ^ a b c アポロドーロス、3巻13・5。
  27. ^ ヒュギーヌス、54話。
  28. ^ オウィディウス変身物語』11巻。
  29. ^ 『キュプリア』断片(ピロデモス『敬虔について』B7241-50)。
  30. ^ ピンダロス『ネメア祝勝歌』第4歌62行-65行。
  31. ^ プロクロス『文学便覧』「キュプリア梗概」。
  32. ^ a b アイギミオス英語版』断片(ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』4巻816行への古註)。
  33. ^ スタティウス『アキレイス』1巻269行。
  34. ^ ロドスのアポローニオス、4巻866行-879行。
  35. ^ a b アポロドーロス、3巻13・6。
  36. ^ ロドスのアポローニオス、4巻780行-841行。
  37. ^ ロドスのアポローニオス、4巻930行-963行。
  38. ^ アポロドーロス、1巻9・25。
  39. ^ 松田治『トロイア戦争全史』p.15。
  40. ^ アポロドーロス、3巻18・8。
  41. ^ アポロドーロス、摘要(E)3・26。
  42. ^ アポロドーロス、摘要(E)3・29。
  43. ^ 『イーリアス』9巻410行-416行。
  44. ^ 『イーリアス』21巻277行。
  45. ^ 『イーリアス』22巻359行。
  46. ^ 『イーリアス』18巻9行-11行。
  47. ^ 『イーリアス』1巻364以下。
  48. ^ 『イーリアス』18巻35行-126行。
  49. ^ 『イーリアス』18巻127行-147行。
  50. ^ 『イーリアス』19巻1行-39行。
  51. ^ 『イーリアス』24巻1行以下。
  52. ^ パウサニアス、5巻19・2。
  53. ^ アイスキュロス断片。
  54. ^ 『オデュッセイア』24巻47行-97行。
  55. ^ プロクルス『文学便覧』「アイティオピス梗概」。
  56. ^ クイントゥス、3巻。
  57. ^ ピロストラトス『ヘーロイコス』51。
  58. ^ ピロストラトス『ヘーロイコス』54。
  59. ^ ストラボン、9巻5・6(C431)。
  60. ^ ポリュビオス歴史』18・3・4。
  61. ^ エウリーピデース『アンドロマケー』20行。
  62. ^ ビューザンティオンのステファノス。
  63. ^ エウリーピデース『アンドロマケー』16行-20行。
  64. ^ エウリーピデース『アンドロマケー』1231行以下。
  65. ^ ヘーロドトス、186。
  66. ^ ヘーロドトス、188。
  67. ^ ヘーロドトス、190。
  68. ^ a b Emma Aston, Thetis and Cheiron in Tessaly.
  69. ^ パウサニアス、3巻14・4。
  70. ^ パウサニアス、3巻14・5。
  71. ^ ピロストラトス『ヘーロイコス』53。
  72. ^ アルクマーン断片5。
  73. ^ a b 廣川洋一「哲学の始まりと抒情詩 アルクマンの場合」。
  74. ^ Wilhelm Mannhardt, Antike Wald- und Feldkulte aus nordeuropäischer Überlieferung, 1877, Bd. II, p. 52-55.
  75. ^ a b c d 岡道男『ホメロスと叙事詩の環』。
  76. ^ Albin Lesky, Peleus, 1937.
  77. ^ カール・ケレーニイ『ギリシアの神話 神々の時代』1章1。
  78. ^ 『マハーバーラタ』1巻91章-93章。
  79. ^ 吉田敦彦『ギリシァ神話と日本神話』p.71-74。
  80. ^ 沖田瑞穂「印欧語族の豊穣女神に共通する諸特徴について」。






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