クイズ100人に聞きました
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 02:34 UTC 版)
スタッフ
- 構成:日野原幼紀、福岡秀広、大倉利晴、植竹公和、高橋秀樹、零弘幸、池田裕幾、村田松葉 他
- 音楽:服部克久、安川宙志
- 制作:古賀一郎
- プロデューサー:森勲、三角英一、岩原貞雄(プロデューサーのほとんどが居作昌果の元で育った部下たちである)
- ディレクター:森勲、加藤嘉一(当番組司会の関口が司会を担当していた「クイズまるごと大集合」の後番組「オールスター感謝祭」立ち上げ初代プロデューサー、元・TBSラジオ会長)、伊佐野英樹、小玉滋彦、熊谷信也、吉橋隆雄他
- 美術デザイン:加藤昌男
- 美術制作:田島末吉、金野寿雄、和田一郎
- 作画:阿部明
- 調査協力:輿論科学協会、サン・ルミネ・コーポレーション
- 旅行協力:日本交通公社 → LOOK JTB
- 製作著作:TBS
変動
期間 | 音楽 | セット概要 | スクリーン色概要 | |
---|---|---|---|---|
1979.4 | 1984.9 | 服部克久1・2 | セット中央のフェード表示式スクリーンの背景板は青かった。 トラベルチャンスのパネルは、空港の出発案内板を模したソラリー式(フラップ式)表示装置が使われ、CM中にキャスター式のパネルをスタジオ中央に移動する作業方式だった。 |
第1問から第4問目までの上段と下段は水色。 第1問から第4問目まで中段は黄色(茶色に近い)。 第5問目の上段と下段は赤色。 5問目の中段は黄緑色。 第1問から第4問目まで答えの数は水色。 第1問から第5問目まで百太郎は黄緑色。 第5問目の答えの数は赤色。 トラベルチャンス時は奇数は水色、偶数は黄色3。 |
1984.10 | 1987.10 | セット中央のフェード表示式スクリーンの背景板が茶色の丸い凸凹形に出場チームの背景板が丸型にそれぞれ変更。 トラベルチャンスのパネルは丸型にCM前のアタック音の時に天井からパネルが降りていく仕組みで、終了後は天井へ戻るものとなった。4 |
第1問から第4問目までの上段と下段は水色。 第1問から第4問、第6問目までの中段は黄色。 第5問から第6問目までの上段と下段は赤色。 第5問目の中段は黄緑色。 第1問から第4問目まで答えの数は黄緑色。 第1問から第4問目まで百太郎は水色。 第5問目から第6問目まで答えの数は赤色。 第5問目の百太郎は黄緑色。 第6問目の百太郎は黄色。 宿題クイズはトラベルチャンスのものを使用。 | |
1987.10 | 1989.3 | 色の塗り替えと、床の段差部分に「WE ASKED 100 PEOPLE」の英文表記の文字が書かれている。 | 第1問から第4問目までの上段と下段は赤色(オレンジに近い)、中段は黄色。 第5問目の上段と下段は黄緑色、中段は赤色(オレンジに近い)。 第1問から第4問目まで答えの数は水色、 百太郎は黄色。 第5問目の答えの数は赤色。 百太郎は黄緑色。 トラベルチャンス時は奇数は赤色(オレンジに近い)、偶数は黄色。 | |
1989.4 | 1989.12 | 出場チームの背景板が半径型に変更。5 | 第1問から第4問目までの上段と下段は黄緑色。 第1問から第5問目まで中段は黄色。 第5問目の上段と下段は水色。 第1問から第4問目まで答えの数は水色。 百太郎は黄緑色。 第5問目の答えの数は黄緑色。 百太郎は黄色。 トラベルチャンスは前回のものを使用6。 | |
1990.1 | 1991.3 | 安川宙志7 | ||
1991.4 | 1992.9 | セット中央のフェード表示式スクリーンの背景板が丸型に背景板も変更。 | ||
|
- セット中央に9枚のフェード表示式スクリーンが設置される(番組を始める時はタイトルロゴを表示した状態)。スクリーンの左に赤チームの赤色・右に青チームの青色のデジタルのスコアボード、上部に得点がプールされる白色のデジタルのスコアボードが設置されている。得点の加算の際は、加算されるチーム側のスクリーン周りの電飾が点滅する。番組後期では、オープニングで3つのスコアボードに「100」と表示されていた。各チームの解答席の前に、獲得賞金を表示するフラップ式の金額表示板がある。
- 団体戦 解答席の上部にプールされた得点、下部に獲得得点がフラップ式のスコアボードに表示される。クイズダービーの予想席と類似している。
ネット局
- 系列はネット終了時点(打ち切り時はネット打ち切り時)のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
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関東広域圏 | 東京放送 | TBS系列 | 制作局 | 現:TBSテレビ |
北海道 | 北海道放送 | 同時ネット | ||
青森県 | 青森テレビ | |||
岩手県 | 岩手放送 | 現:IBC岩手放送 | ||
宮城県 | 東北放送 | |||
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1980年3月打ち切り |
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1982年3月打ち切り | |
テレビユー山形 | TBS系列 | 同時ネット | 1989年10月開局から | |
福島県 | 福島テレビ | フジテレビ系列 | 1983年9月打ち切り[3] 1983年3月まではTBS系列とのクロスネット局[注 12] | |
テレビユー福島 | TBS系列 | 1983年11月28日のサービス放送から[4] | ||
山梨県 | テレビ山梨 | |||
新潟県 | 新潟放送 | |||
長野県 | 信越放送 | |||
静岡県 | 静岡放送 | |||
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | 1984年9月24日打ち切り[5][注 13] | |
テレビユー富山 | TBS系列 | 現:チューリップテレビ 1990年10月開局から[注 14] | ||
石川県 | 北陸放送 | |||
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1979年9月打ち切り[注 15] |
中京広域圏 | 中部日本放送 | TBS系列 | 同時ネット | 現:CBCテレビ |
近畿広域圏 | 毎日放送 | |||
岡山県 →岡山県 香川県 |
山陽放送 | 現:RSK山陽放送 1983年3月までの放送エリアは岡山県のみ 1983年4月より相互乗り入れに伴い香川県でも放送[注 16] | ||
鳥取県 島根県 |
山陰放送 | |||
広島県 | 中国放送 | |||
山口県 | テレビ山口 | |||
愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1982年3月打ち切り [注 17] |
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | 同時ネット | |
福岡県 | RKB毎日放送 | |||
長崎県 | 長崎放送 | |||
熊本県 | 熊本放送 | |||
大分県 | 大分放送 | |||
宮崎県 | 宮崎放送 | |||
鹿児島県 | 南日本放送 | |||
沖縄県 | 琉球放送 |
注釈
- ^ 1984年10月から1987年9月までは、19:20 - 20:00
- ^ 後番組『関口宏の東京フレンドパーク』も続投。
- ^ オープニングの提供クレジットはVTRに組まれた。また、エンディングの提供読みは当時のTBSのアナウンサーが担当(後述のYKKの単独提供時は藤田恒美だったが、その後林美雄、宮内鎮雄など男性アナの担当に変更した)。クレジットはブルーバックになっていた。
- ^ CoCoは瀬能あづさ脱退後のため4人に減っており、乙女塾での同僚(所属事務所は別)だった中嶋と組んだ。
- ^ ウルトラマンVS仮面ライダーの回では、ウルトラマンと仮面ライダーのミニキャラクター
- ^ 4位以下ではチャイムの音は短く鳴る。
- ^ 最終問題では発表せず、最終問題でなくても1位を当てた場合はしない事もある。
- ^ 画面に何度も点滅する表示だった。
- ^ 文字が画面中央から拡大してきて、ファンファーレが終わると同時にそのまま前に行く表示だった。
- ^ 通常問題の3回お手つきのBGMと同じ。
- ^ 日本人に「外国人に食べさせたい日本料理は?」、外国人に「好きな日本料理は?」など。
- ^ 福島テレビは1983年4月にTBS系列・フジテレビ系列とのクロスネット局からフジテレビ系フルネット局にネットチェンジしたが、視聴者保護のために1983年4月~9月までは番販扱いで放送していた。未放送期間中は東京放送・東北放送・新潟放送で視聴可能だった。
- ^ 富山県に工場を持つスポンサーのYKKの意向により同時ネットを行っていたが、1984年秋に『JNNニュースコープ』の放送時間拡大に伴って、同年9月下旬でネットを取り止め、アニメ『キャッツ・アイ』(日本テレビ系列)に切り替えた。ただし、1984年10月―1990年9月の間も、新潟放送または北陸放送、さらには現在の岐阜県飛騨市と隣り合う中部日本放送の受信が可能な地域では視聴可能であった。
- ^ 厳密にはサービス放送初日の同年9月24日から開始している[6]。
- ^ 北陸放送や中部日本放送、毎日放送でも直接受信(一部地域のみ)か1989年以降順次開局したCATV局での経由で視聴可能であった。
- ^ ただし、香川県では相互乗り入れ以前から山陽放送や毎日放送を通じて視聴可能であった。
- ^ 愛媛県のTBS系列新局であるあいテレビは1992年9月21日付で開局前サービス放送を開始しているが、開始当日は『わいわいスポーツ塾』最終回スペシャルの放送日に当たっており、当番組は同年9月28日の最終回スペシャルだけが放送された。
- ^ 『YKKアワー キックボクシング中継』からの続投
- ^ 企業と広告より
- ^ 島田がパーソナリティを務めていたラジオ番組『RADIO-izm』(FM-FUJI)でも話したことがある他、『ザ・ベストテン』でもVTRが放送された。1989年5月1日放送の「10周年記念チャンピオン大会」(第515回)でも紹介があった。
出典
- ^ 「〈折り込み〉週間番組表と番組ガイド」『財界ふくしま』第12巻第11号、行政問題研究所、1983年11月10日、89頁、NDLJP:2832618/47。
- ^ 「テレ・ばらえてい」『婦人生活』第39巻第4号、婦人生活社、1985年4月1日、72 - 73頁、NDLJP:2324848/72。
- ^ 『福島民報』1983年9月26日付朝刊テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1983年11月28日付朝刊テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1984年9月24日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北日本新聞』1990年9月24日付朝刊12面テレビ欄。
- ^ 『朝日新聞 縮刷版』朝日新聞社、1978年8月27日テレビ欄。
- ^ テレビ東京・BSテレ東『日向坂で会いましょう【クイズ!おひさま100人ぐらいに聞きました】(テレビ東京、2022/10/16 25:35 OA)の番組情報ページ | テレビ東京・BSテレ東 7ch(公式)』 。2022年10月17日閲覧。
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