カササギ
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知能
カササギは鳥類のなかでも大きな脳を持っており、哺乳類以外では初めて、ミラーテストをクリアした、すなわち、鏡に映った像が(他の個体ではなく)自分であることを認識したことが確認された[16]。日本においても、老人や子供は警戒しない一方で、若い男性など危害を与えようとするものには警戒して近寄らないという観察結果が出ている[14]。
保全状態評価
日本においては、「カササギ生息地」が国の天然記念物に指定されているが、絶滅を危惧する状態には無い[17]。指定地は以下の通り。
- 福岡県 - 久留米市(旧大善寺町、荒木町、三潴町、城島町域)、筑後市(旧西牟田町域)、柳川市、大川市、大木町、みやま市(旧瀬高町、山川町域)、福津市、古賀市
- 佐賀県 - 佐賀市、鳥栖市、多久市、武雄市、鹿島市、小城市、嬉野市、神埼市、吉野ヶ里町、基山町、みやき町、上峰町、大町町、江北町、白石町、太良町
日本生息個体に関する知見
九州の個体群は、朝鮮とは別亜種で中国と同亜種に分類されている[6]。九州の個体群は17世紀に朝鮮半島から現在の佐賀県(佐賀藩)および福岡県筑後地方(柳河藩)に人為移入された個体が起源とされる[13]。なお、『日本書紀』には飛鳥時代に新羅から「鵲」を持ち帰ったという記述がある(#文化参照)。しかし、室町時代以前の文献にみられる観察記録にはカササギと断定出来る記述は無いとされている[12]。
移入時期は豊臣秀吉の朝鮮出兵とする説(後述)もあるが文献記録が無く伝聞の域を出ていない[2][13]。一方、台風や季節風により本来生息域である大陸から迷行し飛来した自然渡来個体が定着した可能性も否定されていない[13]。しかし(江口.久保(1992))は、福岡県玄界灘沿岸生息群と佐賀平野生息個体群の分布調査からは自然渡来の可能性は極めて低いとしている[13]。また、万葉集にカササギの歌が無い事が渡来時期の傍証のひとつとなっている[13]。生息域が極めて狭く珍しい鳥であることから1923年(大正12年)3月7日、その生息地を定めて、カササギ生息地一帯の市町村は国の天然記念物に指定された[2]。1960年代以降電柱への営巣特性を獲得し分布障壁となっていた山地の森林が減少した[12]事などから、1970年代以降急速に生息域が拡大し数が増加した[17]。
1980年代には、北海道の室蘭市や苫小牧市周辺で観察され[20] 繁殖している。酪農学園大学らの研究グループが2011年から調査を行い[21]、苫小牧の個体群のDNAはロシア極東のものとほぼ一致したが、韓国のものとは違いが大きいと2015年に報道された[22]。カササギは長距離の飛行が苦手なこともあり、これらの地域に生息する個体群の移入経路は長らく不明であったが、2016年、ロシアから貨物船に乗って来ていた説が提唱されている[23]。
地域名
文化
日本
古代
古代の日本には、もともとカササギは生息しなかったと考えられる。「魏志倭人伝」も「日本にはカササギがいない」と記述している。
しかし、七夕の架け橋を作る伝説の鳥として、カササギの存在は日本に知られることとなった。奈良時代の歌人大伴家持は七夕伝説に取材した下記の歌でカササギを歌っている。(『新古今和歌集』・『小倉百人一首』に収載)
鵲の 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更けにける
七夕のカササギの伝承は日本では「サギと付くからサギの仲間だろう」と思われたため、カササギではなくサギで代用されている(鷺舞を参照のこと)。
現代では「鵲」は鳥類のカササギを指す文字として使用されているが、古代における「鵲」の意味と読みは特定されていない[13]。例えば『日本書紀』には、飛鳥時代の推古天皇6年(598年)、聖徳太子の使者として新羅に渡った吉士盤金(きしのいわかね)が2羽の「鵲」を持ち帰り献上、難波の杜(大阪市にある鵲森宮や生國魂神社などが比定地)で飼ったという記述がある[2][24]。この日本書紀の「鵲」には万葉仮名が振られておらず、「かささぎ」という読みが初めて登場するのは平安時代中期の『和名類聚抄』である[13]。
江戸時代以降
現在日本に生息するカササギは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、肥前国の佐賀藩主鍋島直茂、筑後国(現福岡県)の柳川藩主立花宗茂など九州の大名らが朝鮮半島から日本に持ち帰り繁殖したものだとされる説がある[2]が、持ち帰りに関して記録した文献が無く、真相は不明である[13]。一方、佐賀・柳川両藩では主に17世紀に入ってから、地誌や産物帳などに目撃例や生息地、生態に関する記録がみられるようになる<[13]。江戸時代には「朝鮮がらす」「高麗がらす」「とうがらす」の別称があり、当時の生息範囲は柳河藩と佐賀藩の周辺の非常に狭い地域に限られていた。また、佐賀藩では狩猟禁止令により保護されていた[13]。また、佐賀県では県民からの一般公募により、1965年(昭和40年)に県鳥とされたほか、陸上自衛隊目達原駐屯地のシンボルマークにもあしらわれている[25]。また、先述のとおり佐賀県の生息域は国の天然記念物に指定されている[26]。
その一方で、冬には朝鮮半島から対馬に渡ってくる個体があるほか、ミヤマガラスの大群にカササギが混じっていることがあるという観察結果から、渡ってきたカササギが局地的に定着したという意見もある[14]。
中国
七夕伝説における織姫と彦星の間をつなぐ掛け橋の役を担う鳥として、親しまれている。なお、現代中国語では「喜鵲」と表記する。
朝鮮半島
朝鮮語ではカササギを(까치、Kachi、カチ)と呼ぶ。大韓民国では首都のソウル特別市をはじめとする多くの都市が市の鳥に指定している。また、ソウルの地下鉄にはカチ山駅という駅がある。済州島には生息していなかったが[27]、1989年に新聞社と航空会社が協賛して半島の生息種を約50羽放鳥した。天敵のいない環境で一時期10万羽以上にまで増殖し、外来種として生態系と農作物に深刻な被害をもたらしている[28][29]。済州島のカササギは有害野生動物に指定され、自治体による計画的な駆除が行われている。
英語圏
英語では、カササギ、オナガ、サンジャク、ヘキサンなどをまとめて magpie(マグパイ)と呼び、伝統的に「おしゃべり好きのキャラクター」としての表象を与えられている。また、金属など光るものを集める習性があるという広く知られた俗説によって「泥棒」の暗喩に用いられることがある。しかし、実際にはカササギにそうした習性はないことが近年の研究で報告されている[30]。
ドイツ語・ドイツ文学との関連
標準ドイツ語ではElster(エルスター)とされるが、地方によってHeister(ハイスター), Ekster(エクスター), Hetze(ヘッツェ), Atzel(アッツェル)等と呼ばれている[31]。中世盛期に活躍したヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの主著は『パルチヴァール』であるが、その主人公の異母兄は、白人の父と黒人の母から生まれた。彼は髪も肌も白と黒の二色で、カササギのようであったと表現されている[32]。
注釈
- ^ カササギはスズメ目カラス科、サギはペリカン目サギ科。
出典
- ^ 『小学館の図鑑NEO 鳥』、小学館、2002年
- ^ a b c d e f g 千羽晋示「天然紀念物指定の鳥」 文化庁文化財部・監修『月刊文化財』353号(1993年5月号) 第一法規出版 P.10
- ^ “侵入生物データベース - カササギ”. 国立環境研究所. 2024年6月10日閲覧。
- ^ a b c d Crows, mudnesters, birds-of-paradise, Gill F, D Donsker & P Rasmussen (Eds). 2023. IOC World Bird List (v13.1). doi:10.14344/IOC.ML.13.1. (Downloaded 11 June 2024)
- ^ a b “IOC World Bird List(Version 3.5) - Vireos, crows, and allies” (英語). 国際鳥類学者連合. 2024年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月14日閲覧。
- ^ a b Lee, Sang-im; Parr, Cynthia S.; Hwang, Youna; Mindell, David P. & Choe, J.C. (2003). “Phylogeny of magpies (genus Pica) inferred from mtDNA data”. Molecular Phylogenetics and Evolution 29 (2): 250-257. doi:10.1016/S1055-7903(03)00096-4. PMID 13678680.
- ^ 細野哲夫、巣山第三郎、「長野県内におけるカササギ Pica pica の初繁殖例」『日本鳥学会誌』 Vol.46 (1997-1998) No.3 P.177-178, doi:10.3838/jjo.46.177
- ^ 船木信一「秋田県に長期滞在しているカササギの記録」『秋田県立博物館研究報告』第40巻、秋田県立博物館、2015年3月、1-4頁、doi:10.24484/sitereports.121659-62503、ISSN 03851354、NAID 40020422059。
- ^ 侵入生物DB:カササギ 国立環境研究所
- ^ 生息域全て Master List | IOC World Bird List - Vireos, crows, and allies Version 3.5 (2013)
- ^ シャルル・リュシアン・ボナパルト or en:José Bonaparte
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 江口和洋、「カササギ」『日本鳥学会誌』 2016年 65巻 1号 p.5-30, doi:10.3838/jjo.65.5
- ^ a b c d e f g h i j k 江口.久保(1992).
- ^ a b c d e 川口孫治郎(1926).
- ^ 「文化財保護 > カササギ(カチガラス)の保護 > カササギ(カチガラス)の紹介」、佐賀県 教育委員会事務局文化財課、2015年6月30日更新、2018年4月1日閲覧[リンク切れ]
- ^ PLoS Biology - Mirror-Induced Behavior in the Magpie (Pica pica): Evidence of Self-Recognition[リンク切れ]
- ^ a b “天然記念物カササギ生息地緊急調査の結果についてお知らせします”. 佐賀県文化財課 (2015年3月12日). 2015年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月31日閲覧。
- ^ 福岡県環境部自然環境課『福岡県レッドデータブック』1999年
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- ^ 堀本富宏「北海道胆振地方におけるカササギの記録」『山階鳥類学雑誌』第36巻第1号、山階鳥類研究所、2004年、87-90頁、doi:10.3312/jyio.36.87。
- ^ “森さやか准教授が、北海道のカササギのルーツを研究”. 酪農学園大学 (2015年9月8日). 2015年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月31日閲覧。
- ^ “【北海道新聞】苫小牧のカササギ ロシア極東が起源”. 酪農学園大学 (2015年3月10日). 2015年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月31日閲覧。
- ^ “北海道に突然現れたカササギ、ロシアから船で”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2016年12月4日). オリジナルの2016年12月4日時点におけるアーカイブ。 2023年10月31日閲覧。[要出典科学]
- ^ 『新編日本古典文学全集 3日本書紀 (2)』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、pp. 534-535。
- ^ “陸上自衛隊目達原駐屯地 佐賀県に唯一存在する陸上自衛隊の駐屯地です。”. 2021年4月4日閲覧。
- ^ 柴田佳秀『街・野山・水辺で見かける 野鳥図鑑』日本文芸社、36頁。ISBN 978-4-537-21685-1。
- ^ 제주특별자치도[要出典科学][リンク切れ]
- ^ 제주도에서는 까치가 흉조(凶鳥)? 2008-02-13
- ^ 제주도, 아시아나항공에 “89년 까치 방사 피해 보상하라” - 경향신문 2011.06.14[要出典科学][リンク切れ]
- ^ 俗説「カササギは宝石泥棒」は誤り、英研究AFP 2014年8月20日(水)9時25分配信
- ^ Duden.Bd.7: Herkunftswörterbuch, Bibliographisches Institut, Mannheim/Wien/Zürich, 1963 (ISBN 3-411-00907-1), S. 135.
- ^ ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ『パルチヴァール』(加倉井粛之、伊東泰治、馬場勝弥、小栗友一 訳) 郁文堂 1974年 ISBN 4-261-07118-5。改訂第5刷 1998年、29頁上、57詩節。
- ^ 『岩村田招魂社例祭・社殿写真と歴史』全9頁中2頁市川一夫発行2014年3月
- ^ “【独自】西九州新幹線開通後 並行在来線の特急「かささぎ」に 長崎本線博多ー肥前鹿島結ぶ【佐賀県】”. FNNプライムオンライン (2022年6月3日). 2022年6月3日閲覧。
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