おくのほそ道 4つの原本

おくのほそ道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 02:08 UTC 版)

4つの原本

推敲の跡多い原本には中尾本(おくの細道)と曾良本(おくのほそ道)があり、個々の芭蕉による真筆箇所もしくは訂正箇所(あるいはその真贋をも唱える学者もいる[要出典])については現在でも論が分かれている[11]

中尾本は大阪の古書店「中尾松泉堂書店」2代目店主・中尾堅一郎が阪神・淡路大震災で半壊した自宅から1996年に発掘した芭蕉自筆本とされるもので、元禄時代に弟子の野坡(やば)が所持したとされることから野坡本とも呼ばれる[12][13][14]。曾良本は、中尾本に見られる芭蕉の推敲が入ったものを門人が筆写したとされるもので、曽良が所持していたとされ、1972年より天理大学が所有する[13][14]

曽良本以降に芭蕉の弟子で書家の柏木素龍そりゅうが清書した柿衞本(柿衞文庫所有)・西村本(福井の篤農家・西村孫兵衛家所有(1944年に再発見[15]))がある[11][13][14]。この柿衞本・西村本は共に素龍本(素龍清書本)とも呼ばれる[* 4]

出版経緯

西村本の題簽(外題)「おくのほそ道」は芭蕉自筆とされており[16]、これが芭蕉公認の最終形態とされる。芭蕉はこの旅から帰った5年後、1694年に死去したため、「おくのほそ道」は芭蕉死後の1702年(元禄15年)に西村本を基に京都の井筒屋から出版刊行され広まった。「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」と書くのが正式とされるのはこの原題名に基づく[17]。この元禄初版本は現在1冊しか確認されていないが、増し刷りされ広まったため版本は多く残る(本文に変化は見られない)。よって現在世間一般に知られる「おくのほそ道」は、西村本を原本とした刊本の本文を指す。

1938年(昭和13年)に曾良本そらほんが発見された。1960年(昭和35年)に柿衞本かきもりほんの存在が発表され、1996年(平成8年)に芭蕉の真筆である野坡やばほんの発見とされた中尾本なかおほんの存在が発表されている[18]。これによりこの本の原点を探る研究・出版がより増すこととなった。

旅程

足立区(千住宿入口:左側)と荒川区(南千住駅前:右側)でそれぞれに碑を建てているが、芭蕉が隅田川の南岸(荒川区側・当時江戸)に降りて出発したのか、北岸(足立区側)に降りて出発したのかの「千住論争」が存在する[19]
蕪村画 逸翁美術館

江戸、旅立ち

元禄2年春 芭蕉は旅立ちの準備をすすめ、隅田川のほとりにあった芭蕉庵を引き払う。

「草の戸も 住み替はるぞ 雛の家」

3月27日[20] 明け方、採荼庵さいとあんより舟に乗って出立し、千住大橋付近で船を下りて詠む。

「行く春や 鳥啼なき魚の 目は泪」

日光

4月1日 下野国日光(現、栃木県日光市)

「あらたふと 青葉若葉の 日の光」

黒羽 雲巌寺 光明寺

4月4日 黒羽(栃木県大田原市)を訪れ、黒羽藩城代家老浄法寺図書高勝、俳号桃雪

4月5日 雲巌寺に禅の師匠であった住職・仏頂和尚を訪ねる。

「木啄も 庵はやぶらず 夏木立」

4月9日 修験光明寺に招かれて行者堂を拝する。

「夏山に 足駄を拝む 首途哉」

那須 温泉神社 殺生石

4月19日 温泉神社(栃木県那須町)に那須与一を偲び、殺生石を訪ねる。

「野を横に 馬牽むけよ ほととぎす」

白河の関

4月20日 陸奥国白河福島県白河市)

「心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ」

飯坂の里

5月2日 飯坂(福島県福島市飯坂町

「笈も太刀も五月に飾れ紙幟」

多賀城

5月4日 多賀城宮城県多賀城市)、壺の碑(多賀城碑)を見て「行脚の一徳、存命の悦び、羇旅の労をわすれて泪も落るばかり也」と涙をこぼしたという。

松島

5月9日 歌枕松島(宮城県宮城郡松島町

芭蕉は美観に感動したあまり「いづれの人か筆をふるひことばを尽くさむ」と自らは句作せず、代わりに曾良の句を文末に置いた[* 5]

「松嶋や 鶴に身をかれほとゝぎす」曾良

平泉

5月13日 藤原3代の跡を訪ねて平泉岩手県西磐井郡平泉町)にて。

「三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり」

「国破れて山河あり 城春にして草青みたり」という杜甫の詩「春望」を踏まえて詠む。

「夏草や つはものどもが 夢のあと」

「五月雨の 降り残してや 光堂」

光堂(金色堂)は拝観したが、経堂は別当不在により開帳しなかったと伝えられる。

尿前の関

5月14日 尿前(宮城県大崎市

「蚤虱 馬の尿する 枕もと」

(実際には尿前の関より先の堺田にあった「封人の家」で作られた)

尾花沢

5月17日 出羽国尾花沢山形県尾花沢市)、旧知の豪商、鈴木清風を訪ねる。

「涼しさを 我宿にして ねまる也」

「這出よ かひやが下の ひきの声」

「まゆはきを おもかげにして 紅粉べにの花」

山形領 立石寺

5月27日 立石寺山形市山寺)にて。

閑さや岩にしみ入る蝉の声

新庄

5月29日 最上川の河港大石田(山形県大石田町)での発句を改めたもの。

「五月雨を あつめて早し 最上川もがみがわ

出羽三山

6月5日 羽黒山にて。

「涼しさや ほの三か月の 羽黒山」

6月6日 月山にて。

「雲の峰 いくつ崩れて 月の山」

6月7日 湯殿山にて。

「語られぬ 湯殿にぬらす たもとかな」

鶴岡

6月10日 鶴岡(山形県鶴岡市)にて。

「珍しや 山をいで羽の 初茄子び」

酒田

6月14日 酒田(山形県酒田市)にて。

「暑き日を 海にいれたり 最上川」

「あつみ山や 吹浦かけて 夕すヾみ」

象潟

象潟地震で隆起する以前の、象潟の様子が描かれた屏風。

6月16日 象潟きさがた秋田県にかほ市)は松島と並ぶ風光明媚な歌枕として名高かった。象潟(原文では象泻)を芭蕉は「おもかげ松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふが如く、象泻は憾むうらむが如し。寂しさに悲しみを加へて、地勢 魂を悩ますに似たり。」と形容した。

「象潟や 雨に西施せいしが ねぶの花」

汐越しおこしや 鶴はぎぬれて 海涼し」

越後 出雲崎

7月4日 越後国出雲崎いずもざき新潟県出雲崎町)での句。

「荒海や 佐渡によこたふ 天の河」

市振の関

7月13日 親不知おやしらずの難所を越えて市振いちぶり(新潟県糸魚川市)の宿に泊まる。

一家ひとつやに 遊女もねたり 萩と月」

越中 那古の浦

7月14日 越中国那古の浦(富山県射水市)数しらぬ川を渡り終えて。

「わせの香や 分入わけいる右は 有磯海ありそうみ

金沢

7月15日(陽暦では8月29日)から24日 加賀国金沢石川県金沢市)城下の名士達が幾度も句会を設ける。蕉門の早世を知る[* 6]。江戸を発って以来、ほぼ四ヶ月。曾良は体調勝れず。急遽、立花北枝が供となる。

「塚も動け 我泣聲わがなくこえは 秋の風」

「秋すゝし 手毎てごとにむけや 瓜天茄うりなすび

  当地を後にしつつ途中の吟

「あかあかと 日は難面つれなくも 秋の風」

小松

7月25日から27日 山中温泉(石川県加賀市)から戻り8月6日から7日 懇願され滞在長引くも安宅の関記述なし。

「しほらしき 名や小松吹 萩すゝき」

加賀 片山津

7月26日 小松(石川県小松市)、『平家物語』(巻第七)や『源平盛衰記』も伝える篠原の戦い(篠原合戦)、斎藤実盛を偲ぶ。

「むざんやな 甲の下の きりぎりす」

山中温泉

7月27日から8月5日 大垣を目前に安堵したか八泊、和泉屋に宿する。

「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂」

「曾良は腹を病て、伊勢の国長島と云う所にゆかりあれば、先立ちて行に」

行行ゆきゆきて たふれふすとも 萩の原」  曾良

「と書き置たり。」

「今日よりや 書付消さん 笠の露」

小松 那谷寺

8月5日 小松へ戻る道中参詣、奇岩遊仙境を臨み。

「石山の 石より白し 秋の風」

大聖寺 熊谷山全昌寺

8月7日 前夜曾良も泊まる。和泉屋の菩提寺、一宿の礼、庭掃き。

庭掃にわはきて いでばや寺に 散柳ちるやなぎ

終宵よもすがら 秋風聞や うらの山」 曾良

越前 吉崎

8月9日 「この一首にて数景尽たり」 蓮如ゆかり越前国吉崎御坊福井県あわら市)の地。

終宵よもすがら 嵐に波を 運ばせて 月を垂れたる 汐越の松」  西行[22]

松岡 天龍寺

8月10日 金沢から供とした立花北枝とここで別れる[23]

「物書て 扇引さく 余波哉」

敦賀

8月14日、夕方、敦賀(福井県敦賀市)に到着。仲哀天皇の御廟である氣比神宮に夜参する。美しい月夜であった。遊行二世上人のお砂持ちの故事にちなんで。

「月清し 遊行ゆぎょうのもてる 砂の上」

8月15日、北国の日和はあいにくで、雨が降り、十五夜の名月は見れず。

「名月や 北国日和ほっこくびより 定めなき」

8月16日、西行の歌にもある「ますほの小貝」を拾おうと、船で色ヶ浜へ向かう。

「寂しさや 須磨すまにかちたる 浜の秋」

「波のや 小貝にまじる はぎちり

大垣

8月21日頃、美濃国大垣岐阜県大垣市)に到着。門人たちが集い労わる。
9月6日 芭蕉は「伊勢の遷宮をおがまんと、また船に乗り」出発する。 結びの句

はまぐりの ふたみにわかれ 行く秋ぞ」


注釈

  1. ^ 「月日は永遠の旅人であり、やって来ては過ぎてゆく年もまた旅人である」の意。8世紀の中国、の詩人、李白の「春夜宴桃李園序」[1]の「夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」をふまえたもの(「そもそも天地はあらゆるものを泊める宿屋であり、時の流れは永遠の旅人である」の意)[要出典]
  2. ^ 現在の東京都埼玉県栃木県福島県宮城県岩手県山形県秋田県新潟県富山県石川県福井県滋賀県岐阜県の14都県を通過したことになる[7]
  3. ^ 芭蕉がここで「松島やああ松島や松島や」と詠んだというのは全くの俗説。没後百年ほどして、仙台藩の儒者である桜田欽齊『松島図誌』に収載された江戸後期の狂歌師・田原坊の「松嶋やさてまつしまや松嶋や」に由来するものであり、正岡子規も「箸にも棒にもかからぬ駄句なり、芭蕉の句であるわけが無し」と酷評している。「おくのほそ道総合データベース」参照[8]
    底本について—「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」に掲載している「おくのほそ道」は、 素龍清書の「西村本」を底本としています。日本古典文学刊行会複製・素龍清書『おくのほそ道』(昭和47年刊行)
    平泉は、おくのほそ道の折り返し地点にあたり、藤原三代の栄華をしのび、「夏草や兵どもが夢のあと」の句を詠んだ[6]
  4. ^ 柿衞本が1960年に発見される以前は、西村本のみがそう呼ばれていた。
  5. ^ 実際には「嶋々や 千々にくだけて夏の海」の句がある[21]
  6. ^ 本文では「一笑いつせうと云うものは、此道にすける名のほのぼの聞こえて、世に知人も侍りしに、去年こぞの冬、早世したりとて、」
  7. ^ おくのほそ道の風景地 - 文化遺産オンライン文化庁

出典

  1. ^ 巻菱湖 188, 李青蓮 春夜宴桃李園序.
  2. ^ 宮田 & キーン 1986, pp. (コマ番号0052.jp2-0055.jp2).
  3. ^ 森 1984, pp. 20-21(11コマ目).
  4. ^ 藤原 2001a, pp. 1–12.
  5. ^ 藤原 2001b, p. 10コマ目loc=「第I部 『おくのほそ道』の本文研究」.
  6. ^ a b c d e f g h i 浅井建爾 2001, pp. 136–137.
  7. ^ a b 浅井建爾 2015, pp. 128–129.
  8. ^ a b 芭蕉について:松島へのあこがれ”. www.bashouan.com. 俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡:第2集 芭蕉と松島 (2018年11月11日). 2018年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月8日閲覧。
  9. ^ 日本古典文学刊行会 編 1972, 素竜清書本の複製.
  10. ^ 弥吉 等 1971, pp. 31, 1 西村.
  11. ^ a b 岡本勝雲英末雄『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、319頁。 
  12. ^ 中尾堅一郎氏死去/中尾松泉堂書店会長四国新聞社、2009/07/12
  13. ^ a b c 『奥の細道』の緒本芭蕉DB, 伊藤洋、山梨県立大学
  14. ^ a b c 講演記録 「目で見る江戸俳諧の真髄展」記念講演会 芭蕉と蕪村の「奥の細道」藤田真一 (関西大学図書館, 2009-06-30) 掲載雑誌名:関西大学図書館フォーラム. (14)
  15. ^ 「奥の細道」の原本現れる(昭和19年5月16日 毎日新聞(大阪))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p713 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  16. ^ 元禄初版本(早稲田大学図書館/請求記号:文庫31・A01 https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_a0150/
  17. ^ おくのほそ道文学館 2006, 素龍が書写した「おくのほそ道」.
  18. ^ 佐藤勝明『21世紀日本文学ガイドブック5 松尾芭蕉』ひつじ書房、2011年10月、172-174頁。 
  19. ^ 『奥の細道、旅立ちの地は…「千住論争」25年』 読売新聞 2014年7月23日
  20. ^ 杉本苑子 2005, p. 8曾良の『旅日記』では「巳三月廿日」となっている。7日以上のずれがある。のちに諸説紛々として揉めることとなった。
  21. ^ 宇和川匠助 1970, p. 79.
  22. ^ 杉本苑子 2005, p. 210。世間では西行作で通っているが、西行のどの歌集にも載ってはおらず、調べたところ蓮如上人の歌だった。
  23. ^ 曹洞宗 清涼山 天龍寺 福井県吉田郡永平寺町松岡春日
  24. ^ ミュージカル おくの細道”. 劇団わらび座. 2021年11月4日閲覧。
  25. ^ 公演が終了した舞台「ミュージカル おくの細道」”. 劇団わらび座. 2021年11月4日閲覧。






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