スピード違反
速度違反
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 22:52 UTC 版)
阪和電鉄の認可最高速度は当時の国鉄同様95km/hだったが、現実にはしばしば120km/h - 130km/hにも達する速度違反が行われていたともいう。もっとも、監督官庁が鉄道省であった当時、仮に省線以上の速度で申請を出しても認可は得られなかった。 当時の阪和では乗客へのサービスのため、阪和天王寺駅では発車時刻になっても改札に客がいる場合は発車を待たせ、遅れた客を乗せたうえで発車させるようにしていたが、それでも定刻に東和歌山駅に到着させることが厳命され、乗務員は実際に回復運転を図って定時到着させていた。これは高規格な軌道と、大出力電車の高性能に負うものであり、安全上での一応の余裕はあったが、恐るべき「暴走」ぶりであった。 また1935年頃の同社の営業案内には「最高時速は120粁(キロメートル)で日本一の快速電車である」と記されている。古い時代の鉄道では営業運転での最高速度でなく、実際に達することのない設計・計画最高速度をPRに使う誇大広告のケースがまま見られた。例えば、南満州鉄道の「あじあ」号について時折語られる「160km/h」という最高速度も、実際の営業運転では到達しておらず「130km/h」が最高であったが、阪和では一見額面のみの「最高速度」を表示しつつ、実際にもそれだけの超過速力を出していたもので、阪和の徹底したスピード主義を読み取ることができる。 古く明治時代に軌道条例→軌道法準拠で開業して低速運転を強いられながら、監督官庁の目をかいくぐって無許可の高速運転を敢行した阪神電気鉄道や京浜電気鉄道以来、特に戦前の関西私鉄各社ではこの種の速度違反が日常的に行われていた。阪和電鉄の手本となった新京阪線でも、途中の速度制限などから逆算すると法規を守っていればあり得ない所要時分の超特急を運行するなど、是非は別として、阪和だけが違反に手を染めていた訳ではなかったのが当時の実情であった。
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