権力集中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 17:42 UTC 版)
「グレゴワール・カイバンダ」の記事における「権力集中」の解説
1961年制定のルワンダ憲法では、国家元首として大統領を置き、行政の長であることが定められ、成年による普通・直接選挙によって比較多数で選出されることになっていた(一方、首相を置く規定はない)。大統領に対して議会は、5分の2以上の賛成で不信任動議が提出でき、5分の4以上の支持があれば動議は可決できた。一方、大統領の側に議会の解散権は与えられていなかった。このように憲法上は立法府の権限の方が強いシステムになっていたが、実態は逆で、議会の活動は次第に低下し、大統領とその少数の側近に権力が集中していった。 1965年、1969年の大統領選挙でカイバンダは共に再選されているが、共に候補はカイバンダ1人だった。得票率はそれぞれ、98.0%、99.6%である。一方、議会の活動は次第に停滞していった。数少ないが、議会はカイバンダを含めた行政側の不正の追及を試みたことがある。例えば、1968年、開発予算の不正使用に端を発して議会に調査委員会が設けられ、カイバンダをはじめ多くの政治家の行動が問題視された。報告書が公表されたが大統領側近の議員が猛反発し、報告書は政府転覆を図るものであり、虚偽の内容を含むと主張して国民議会に報告書を否定する決議案を提出、賛成30、反対0、棄権10で採決された。棄権者の中にはルワンダ初代大統領のムボニュムトゥワら大物議員が含まれていたが、次期選挙時に公認を取り消されるなどの圧力を受け、党から追放されていった。この事件以降、カイバンダを中心として、ムリンダハビ(Mulindahabi)やンバルブケイエ(Mbarubukeye)らの「ギタラマの小グループ」が権力を確立させた
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