選挙にいたるいきさつ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:10 UTC 版)
「2010年9月民主党代表選挙」の記事における「選挙にいたるいきさつ」の解説
政治資金問題により党代表職を退いた小沢は、代表代行として2009年の総選挙を指揮、政権獲得の功績により幹事長に就任する。小沢グループが党内最大派閥に躍進したこともあり、幹事長として党人事や資金繰りなどを一手に引き受けるのみならず、陳情の幹事長室への一元化など国政に関しても権力集中を進め、鳩山由紀夫内閣に対して影響力を行使した。しかしマニフェストと財政の齟齬・鳩山首相や小沢幹事長の政治資金問題・連立相手の社民党、国民新党との摩擦などで内閣支持率は激減し、翌2010年6月に鳩山は内閣総辞職・代表辞任に追い込まれた。同時に小沢も幹事長を退き、「謹慎」を宣言した。 代表選で小沢系の七奉行樽床伸二に大勝した副総理の菅が首相に就任する。菅は小沢への権力集中に批判的であった議員を要職に登用する。また前回総選挙のマニフェストの見直しなど財政健全化路線に切り替え、「政治主導」の修正もはかり、政策に関しても小沢の路線を転換する。内閣支持率は回復したが、財政健全化の一環としての消費税率引き上げへの言及が仇となり、再び内閣支持率が激減。7月の参院選で民主党は惨敗、参院での過半数を失った。 参院選で党が大敗すると、小沢および小沢系議員は執行部を批判、代表選への小沢の立候補を促す動きが起こる。鳩山由紀夫の支持を取り付けたことを機に、小沢は自身の立候補を決意した。 小沢の出馬決意を受け、選挙後に党が分裂する危険性が高まったため、鳩山や輿石東が菅と小沢の間を取り持ち、小沢の復権を伴った「トロイカ+1体制」の確立を菅が了承するのと引き換えに小沢が出馬を辞退する、などの折衷案を提案した。しかし菅が提案を拒否し、交渉は決裂、代表選で2人が争うこととなった。
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