新中国建国と毛沢東への権力集中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 07:01 UTC 版)
「中国共産党中央委員会主席」の記事における「新中国建国と毛沢東への権力集中」の解説
日中戦争とそれに続く第二次国共内戦に勝利した中国共産党は、1949年10月1日、中華人民共和国を建国した。建国時の臨時憲法である中国人民政治協商会議共同綱領(中国語版)や1954年の中華人民共和国憲法(1954年憲法)では党政分業が志向され、「中国共産党による国家の領導(上下関係を前提とする指導)」は明記されていなかったが、建国直後の1949年11月には中央人民政府内に中国共産党の「党委員会」が設置され、政務院(現在の国務院)には「党組(党グループ)」が設けられていくなど、国家機関に対する中国共産党の指導性は実質的には強まっていった。そして、1954年憲法の制定により、中華人民共和国は人民民主主義国家から社会主義国家へと正式に転換を図った。かくして中国共産党は中華人民共和国の指導政党となり、その党首である中国共産党中央委員会主席は、事実上の国家の最高指導者として位置づけられた。中国共産党中央委員会主席の毛沢東は国家元首である中華人民共和国主席(国家主席)、中国共産党の党軍にして事実上の国軍でもある中国人民解放軍の統帥権者の中華人民共和国国防委員会主席(国家主席の兼任)と中国共産党中央軍事委員会主席を兼ね、党・国家・軍の三権を独占した。
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