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ブーバー【Martin Buber】

読み方:ぶーばー

[1878〜1965]オーストリア生まれユダヤ人哲学者ハシディズム復興尽くし、ユダヤ・アラブ両民族共存努めた。著「我と汝」など。


マルティン・ブーバー

(martin buber から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 05:53 UTC 版)

マルティン・ブーバー
人物情報
生誕 (1878-02-08) 1878年2月8日
 オーストリア ウィーン
死没 1965年6月13日(1965-06-13)(87歳没)
イスラエル エルサレム
子供 ラファエル・ブーバー
学問
研究分野 宗教哲学
研究機関 <フランクフルト大学ヘブライ大学
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マルティン・ブーバーヘブライ語: מרטין בובר, ラテン文字転写;Martin Buber, 1878年2月8日 - 1965年6月13日)は、オーストリア出身のユダヤ宗教哲学者社会学者

経歴

1878年、ウィーン正統派ユダヤ教徒の家庭に生まれる。イディッシュ語ドイツ語が交わされる中で生活しながら、1892年に父方の実家があるレンベルク(当時オーストリア領、現ウクライナリヴィウ)に転居。イマニュエル・カントセーレン・キェルケゴールフリードリヒ・ニーチェなどに親しむうち哲学に興味を示し、1896年に再度ウィーンへ戻って哲学、美術史、歴史などの勉強に勤しんだ。

その後、当時盛んになったシオニズム運動に加わり、機関紙の編集者にもなるものの、ハシディズムに関心を持ったことを契機に、政治的に特化されたシオニズムに疑問を持って離脱。再び学究と著述に専念し、1923年に主著となる『我と汝』を上梓した。翌1924年にはフランクフルト大学教授となり、聖書ヘブライ語からのドイツ語訳に携わった。

1930年にはフランクフルト大学名誉教授となるも、ナチスが政権を獲得すると一切の講義を禁止され1935年に追放処分を受ける。このためドイツを出国したブーバーは、1938年エルサレムに移住しヘブライ大学人類学社会学を講じた。1965年にエルサレムで没した。

ヘブライ大学で講義中のブーバー

受賞・栄典

思想

ブーバーの思想は「対話の哲学」と位置づけられる。対話の哲学とは「我」と「汝」が語り合うことによって世界が拓けていくという、端的に言えばユダヤ教教義を哲学的に洗練したものとされる。

ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「我」はいくら「それ」に関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。その「我-それ」関係に代わって真に大切なのは「我-汝」関係であり、世界の奥にある精神的存在と交わることだという。そして、精神的存在と交わるためには相手を対象として一方的に捉えるのではなく、相手と自分を関係性として捉えること、すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。

この思想はユダヤ神秘主義ドイツ神秘主義と似通っており、双方の伝統を受け継ぐブーバーはこれらから独自の思想を発展させたと考えられる[要出典]。もっとも、ブーバーは人間は現世に生活する存在である以上、神秘主義の説く「神人合一」を絶対的境地とは認めなかった。なぜなら、そのような境地を絶対とするならば、恍惚境から離れた日常ではいかなる悪を犯しても構わなくなるからである。むしろ、通常の人間には日常生活の方が大事であり、そこにおいて絶対的存在との繋がりを保つ手法の考察が、「対話」に発展していったと考えられる。

アマレク人の聖絶に関して

エマニュエル・レヴィナス

ヘブライ語聖書』(旧約聖書)にはイスラエル民族に敵対したアマレク人聖絶を預言者サムエルを通して神が命じ、イスラエル王国の王サウルがアマレク人を皆殺しにしたという話がある。聖書無謬説を否定する立場(聖書には誤った記述や、人の手によって改変された記述、後世に創作された記述が含まれるとする立場)からは、神がこのような冷酷な命令をしたはずがないと解釈される。ブーバーは、ある時『サムエル記』上15章のアマレク人聖絶の記述について問われて、「私はそれを神のお告げであるとは信じない。私はサムエルが神の言葉を聞き間違ったのだと信じる」と答えたと晩年の自伝的な著書の中で記している[1]。これに対してエマニュエル・レヴィナスは、ブーバーは聖書の権威よりも自分の良心の方を上に置いたとして非難する。レヴィナスによれば、出エジプト直後にイスラエルを最初に攻撃したアマレクは根源的な悪の象徴であり、イスラエル民族殲滅を試みたナチスと同等視されるため、上記のブーバーの見解に対して、「ブーバーはホロコーストについて考えていなかった(アマレクを生かしておけばイスラエル民族殲滅の憂き目にあっていた)」として極めて批判的な感想を表明している[2]

家族・親族

  • 息子:ラファエル・ブーバー (Rafael Buber, 1900-1990) 。元妻は作家だったマルガレーテ・ブーバー=ノイマン(Margarete Buber-Neumann, 1901-1989)[3]

参考文献

  • 『マルティン・ブーバー聖書著作集 第2巻 神の王国』(日本キリスト教団出版局)ISBN 4-8184-0455-1
    原書題名 Königtum Gottes(原著第3版の翻訳)
    • 他は『聖書著作集 第1巻 モーゼ』、『聖書著作集 第3巻 油注がれた者』、2002年~2010年刊。各・木田献一ほか訳
  • 『時間と対話的原理 波多野精一とマルチン・ブーバー』(側瀬登著、晃洋書房、2000年11月)ISBN 4-7710-1201-6,

主な訳書

  1. 対話的原理Ⅰ - 初刊版
  2. 対話的原理Ⅱ 単独者への問いほか
  3. ハシディズム - 新版刊
  4. 哲学的人間学
  5. かくれた神
  6. 預言者の信仰Ⅰ
  7. 預言者の信仰Ⅱ
  8. 教育論・政治論
  9. ゴグとマゴグ ある年代記
  10. ブーバー研究(別巻)
  • 『ひとつの土地にふたつの民』合田正人訳、みすず書房、2006年

研究

  • 『忘我の告白』マルティン・ブーバー編、田口義弘訳、叢書・ウニベルシタス 法政大学出版局、1994年
  • カール・ロジャーズと『ブーバー ロジャーズ対話』山田邦男ほか訳、春秋社、2007年 ISBN 4-393-36483-X
  • 『評伝マルティン・ブーバー』上・下 モーリス・フリードマン著、黒沼凱夫・河合一充訳、ミルトス、2000年
  • 小林政吉『ブーバー研究 思想の成立過程と情熱』(創文社、1978年12月)
  • 上山安敏『ブーバーとショーレム ユダヤの思想とその運命』(岩波書店、2009年)
  • 斉藤啓一『ブーバーに学ぶ 「他者」と本当にわかり合うための30章』(日本教文社、2003年)
  • ヴェルナー・クラフト『ブーバーとの対話』(板倉敏之編訳、叢書・ウニベルシタス 法政大学出版局、1975年)

関連書籍

脚注

  1. ^ マルティン・ブーバー『出会い 哲学的断片』実存主義叢書13、1966年、理想社、p.80〜84
  2. ^ エマニュエル・レヴィナス、フランソワ・ポワリエ『暴力と聖性 レヴィナスは語る』ポリロゴス叢書、国文社、1991年、p.167-168、176
  3. ^ 訳書は、回想『スターリンとヒットラーの軛のもとで 二つの全体主義』(林晶訳、ミネルヴァ書房、2008年)
    他に『カフカの恋人 ミレナ』(田中昌子訳、平凡社、のち平凡社ライブラリー)

外部リンク



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