USGS チームと救助活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 15:05 UTC 版)
「デイヴィッド・ジョンストン」の記事における「USGS チームと救助活動」の解説
USGS の多くの科学者が、火山の監視に取り組んでいた。しかし、噴火直前の2週間半の間、コールドウォーターII観測所に詰めていたのは大学院生のハリー・グリッケン(Harry Glicken)だった。噴火前日の夕方、彼はカリフォルニア大学の大学院に戻って自分の研究を進めるために、USGS の地質学者ドン・スワンソンと交代するようスケジュールが組まれていた。しかし、スワンソンは、5月18日に帰国するドイツ人の院生と面会したいと考えていた。そこで、爆発の2日前、スワンソンは廊下で出会ったジョンストンをつかまえて、代わってくれるよう頼み込んだ。ジョンストンはたった1日だけ配置につくことをしぶしぶながら了承した。噴火が起こる前日の土曜日、ジョンストンは山に向かい、地質学者のキャロライン・ドリージャーと火山を見回った。山は地震で揺れ動いていた。ドリージャーはその夜、火山を見下ろす尾根の一つでキャップする予定だったが、ジョンストンは帰宅するように彼女にいい、一人で火山に留まると告げた。コールドウォーターIIにいる間、ジョンストンは、噴火のさらなる兆候を見出そうと火山を観測する予定だった。5月17日の夕刻、出発直前の午後7時、噴火の13時間半前、グリッケンは観測所のトレーラーの横に腰掛けてノートを手に笑みを浮かべたジョンストンの、後日有名となる写真を撮影した。 次の朝、5月18日午前8時32分、火山は噴火した。即座に救助隊員が山に向かって出動した。山へ科学者を飛行機で送り届けていた USGS 所属パイロットのロン・スティックニーは、最初の救助活動の際、案内のため同行した。彼はヘリコプターを操縦して、傷ついた木々の残骸や谷筋を飛び越え、コールドウォーターII観測所のあった尾根の上空に辿り着いた。しかし、そこで彼の目に入ったのはむき出しの岩肌と根こそぎにされた木々だけだった。ジョンストンがいたトレーラーは影も形もなく、スティックニーは「ひどく取り乱して」パニックに陥った。 罪悪感に打ちのめされ、気も狂わんばかりになったハリー・グリッケンは、3人のヘリコプターパイロットに、救助活動のために被災地上空を飛んでくれるように頼み込んだ。しかし、噴火はあたりの景色を完全に別のものに変えてしまい、彼らには、爆風に吹き飛ばされ埋もれてしまったコールドウォーターII観測所が存在したいかなる痕跡も見出すことはできなかった。彼とヘリのクルーは逃げようとした人を載せた車を発見したが、着陸して救助しようとしたものの、犠牲者の遺体の手から皮膚が剥がれおちる有り様だった。噴火の直後に、ドン・スワンソンは瓦礫の中にジョンストンのバックパックとパーカが埋まっていたのを見つけた。しかし彼は、スカベンジャーども(連中はすでに山に入り込み噴火の犠牲者の遺品を持ち去って売りに出していた)が彼の友人の遺体や所持品を見つけて持ち去るのを怖れ、ごく数人を除き自分の発見を秘密にしていた。1993年、ジョンストンリッジ観測所に至るようワシントン州道504号線(別名「スピリット湖記念ハイウェイ」)を14キロメートル延長する工事中、建設作業員がジョンストンのトレーラーの残骸を発見した。しかし、彼の遺体は発見できていない。
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