PHASE-III-A
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/11 10:00 UTC 版)
「PHASE-III衛星」の記事における「PHASE-III-A」の解説
PHASE-III計画で最初に開発された衛星PHASE-III-Aは次のような特徴をもっていた。 形状は直径1600mm、高さ400mm、質量約92kgの三角星型で、スピン安定方式により姿勢を保つ。大きさはそれまでのアマチュア衛星中最大である(日本の技術試験衛星1号「きく」より大きく大質量)。 予定軌道は次のとおり近地点高度1,500km、遠地点高度35,800km、(周期約660分) 軌道傾斜角57deg、近地点引数210度 通信衛星として機能するため、一般ユーザが利用可能な約120kHzの周波数帯域を持つ出力50WのBモードトランスポンダ(アップリンクが70cm帯・ダウンリンクが2m帯)を搭載した。 衛星の航法制御・ハウスキーピング用としてCMOSマイクロプロセッサ(RCA CDP-1802)と16KB ECC付DRAMメモリを備えた。 テレメトリはモールス符号によるジェネラルビーコンとPSK変調によるエンジニアリングビーコンの2系統を備えた。 軌道変換用にサイオコール社の小型固体ロケットモーターを内蔵する。 姿勢制御用に、導体に電流を流し地球磁場との相互作用により回転モーメントを発生させるマグネトルカーを用いる。これはその後のPHASE-III衛星にも引き続き採用された。 アンテナは以下の3組を持つ: 三角星型の各頂点にモノポール素子を配置した、2m帯円偏波ビームアンテナ(送信) 上面の中心軸上に配置した、2m帯モノポールアンテナ(英語版)(送信) 上面に120度おき3箇所にダイポールを配置した、70cm帯位相給電ビームアンテナ(受信) 製作団体は、AMSAT-DL,AMSAT-NA,ブダペスト工科大学。 日本を含む世界中のアマチュア無線家からの寄付も寄せられた。日本ではJAMSATを通じ太陽電池基金の寄付、および中間周波数用クリスタルフィルタの製作・寄付などの貢献があった。 打上げは1980年5月23日、フランス領ギアナのクールー宇宙センターからアリアンロケット2号機(L02)で行われた。しかし発射後数分で第1段ロケットエンジンの異常燃焼のため打上げは失敗し、PHASE-III-A衛星は主ペイロードの「ファイアーホイール」(西ドイツのマックス・プランク研究所の科学衛星)とともに大西洋に落下、喪失した。 関係者の失望は大きかったが、欧州宇宙機関(ESA)は再打上げの要請に対し、衛星さえ製作できれば1982年の7回目の打ち上げに便乗させられるとの回答を寄せたため、代替衛星(PHASE-III-B)の製作に着手することになった。 打上げの失敗に対しアマチュア無線コミュニティからは同情と激励の言葉が寄せられ、ARRL始め多くの団体から衛星再製作のための寄付が寄せられた。また、ヨルダンの故フセイン国王(JY1のコールサインを持つアマチュア無線家でもあった)からの寄付もあった。
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