Multics
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「GE-600シリーズ」の記事における「Multics」の解説
1964年、Multicsプロジェクトが開始され、GE がコンピュータハードウェアを提供することになった。GEは最新のOSが自社のマシンで動作することで他社との差別化が図れる機会だと考えた。Multics を効率よく動作させるにはCPUにいくつかの機能追加を必要とした。John Couleur は MITの Edward Glaser とともにこれに取り組んだ。結果としてGE-645が完成した。これはCPUに複数のセキュリティ階層を持ち、仮想記憶のための命令群を備えていた。アドレス指定は 18ビットの「セグメント」と18ビットの通常アドレスでなされ、理論上のメモリ空間を劇的に広げて仮想記憶をサポートしやすくした。 645の後継機の開発プロジェクトは1967年に開始された。新しい GE-655はトランジスタを登場したばかりの集積回路で置き換えたもので、性能が2倍になり組み立てコストが劇的に削減された。しかし、そのマシンは1969年になっても完成せず、その時点でMulticsは一般ユーザーの使えるレベルのものが一応完成していたのである。MIT、ベル研究所、GEの3者のほかに 645 の Multics システムはアメリカ空軍のローム研究所、ハネウェル Billerica、Machnines Bull (パリ) に設置された。ハネウェルとBullの 645 は両社が共同開発していた ハネウェル Level 64 コンピュータの設計に使用された。
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Multics
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:25 UTC 版)
米国MIT、ゼネラル・エレクトリック、AT&Tのベル研究所で、Multicsと言う名前のOSが作られた。多機能のOSだったが、機能を入れ過ぎようとしたため、まともに使える代物として完成しなかった。この反省をふまえて、MulticsをもじったUNIXという名前のOSがベル研究所のケン・トンプソンらのチームによって作られた。AT&Tは、独占禁止法によってコンピュータ業界への参入を禁じられていたため、UNIXのソースコードは無償で公開されることになり、大学や研究機関に爆発的に広まった。 Linuxカーネル開発の中心人物 リーナス・トーバルズ(左)、MINIXの作者 アンドリュー・タネンバウム(右)
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