MLB屈指のトラブルメーカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 15:17 UTC 版)
「イライジャ・デュークス」の記事における「MLB屈指のトラブルメーカー」の解説
少年時代から暴力行為などで何度となく逮捕されているMLB屈指のトラブルメーカーである。泥沼の女性問題も抱えており、4人の女性との間に少なくとも5人の子供を儲けている。 父親が収監された翌年の1997年9月29日、当時13歳のデュークスは暴力事件を起こしてタンパ市警に初めて逮捕された。翌年にも暴力行為で逮捕されている。 2003年12月には一ヶ月で2度逮捕されている。12月8日、男児を出産したばかりの妻に暴力を振るったとして傷害容疑で逮捕されると、25日には交通違反を制止しようとした警官に暴言を吐いた上に逃走を企て、公務執行妨害で逮捕された。最終的には、どちらの事件も不起訴処分とされている。 2004年10月12日にも暴力事件を起こしたが、最終的には不起訴処分とされた。しかし、翌2005年1月18日にまたしても暴力事件を起こして逮捕され、裁判で執行猶予1年、罰金549ドルの判決を受けている。 2006年8月には首脳陣との衝突が原因で、チームから無期限出場停止処分を食らった。それまではAAAで80試合に出場し、打率.293・10本塁打・50打点・9盗塁というハイレベルな数字を挙げてはいた。翌2007年も1月に大麻所持で逮捕され、別居中の家族(妻)を脅迫するなど私生活でも不品行が目立ち、ロースター除外の処分を受けマイナー降格。オフに向けウィンターリーグ参加予定であったが9月にまたも大麻所持が発覚と、1年間に3度も逮捕される失態を犯した。 2008年から所属したナショナルズは、デュークスに怒りを抑える訓練を施し、元警察官を球団特別補佐官として雇いデュークスの行動を常時監視させた。その甲斐あって、ナショナルズ時代には目立ったトラブルはなかったが、2010年3月に突然解雇された。球団が発表した解雇の理由には釈然としない部分も多く、何らかのトラブルがあったという見方も根強かった。後に、マリファナを巡るトラブルが解雇の原因だったことが判明した。 2010年11月1日、養育費未納でタンパ市警に逮捕される。同年、デュークスは合計3人の女性に対して14万3000ドルの支払い義務を負っていた。 2011年3月4日、妊娠中の元交際相手の顔面を殴打したとして暴行容疑で逮捕された。4月24日には無免許運転で逮捕。
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