JFKの登板増加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 10:44 UTC 版)
「JFK (阪神タイガース)」の記事における「JFKの登板増加」の解説
JFKが確立された2005年以降、岡田監督は「6回までに僅差でリードしたらJFK」を勝ちゲームの基本方針としていたが、その一方で完投能力の乏しい先発投手は6回までに降板することが多くなった。2005年に最多勝を獲得した下柳剛も規定投球回未到達であった。 このことは、2006年までは井川慶や安藤優也、福原忍と比較的完投能力のある先発が揃っていたため、特に大きな問題にはならなかったが、この年オフに井川がニューヨーク・ヤンキースに移籍、さらに2007年の開幕前に安藤と福原が共に故障したことで、チームはシーズンのスタートから深刻な先発不足に陥った。岡田はこれに対し前年まで以上にJFKを多く起用する采配を取り、チームが夏場に10連勝した際には藤川がその全試合に登板するなどJFKがフル回転した。一時は巨人との12ゲーム差を引っくり返して首位に立ったが、その直後からJFKが調子を落とし失点を許す場面が目立つようになり、最終的には優勝を逃す結果となった。中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズ第1ステージでも、結局藤川を使う機会すらなく敗退した。 2007年の阪神投手陣は、チーム防御率が3.56でリーグトップであったが、リリーフの防御率が2.45(リーグ1位)なのに対し、先発の防御率は4.45(リーグ最下位)であった。規定投球回に到達した投手は1人もなく、久保田に至っては全てリリーフでの登板であったにもかかわらず投球回数は下柳に次いでチーム2位であった。また藤川とウィリアムスは前述のように9月以降に失点を許す場面が目立った。2人の防御率は8月までの藤川0.70, ウィリアムス0.16に対し、9月以降の期間はそれぞれ4.82, 5.40であり、最終的には1.63, 0.96となった。 規定投球回到達者なしのチームが出たのは2003年のオリックス・ブルーウェーブ以来4年ぶりであったが、この年のオリックスがチーム防御率が史上最悪の5.95と投手陣が完全に崩壊したのに対し、阪神はチーム防御率がリーグトップであるにもかかわらずこの記録が生まれた。 2008年は安藤の復活、岩田稔の台頭こそあったものの、JFKをはじめとするリリーフを中心とする投手陣編成は変わらなかった。しかしリリーフ陣に前年ほどの安定感はなく、特にウィリアムスと久保田の不調、さらに北京五輪で主力選手を欠いて打撃陣が不調に陥ったことも重なり優勝を逃す結果となった。
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