JFE東日本時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 07:41 UTC 版)
大学卒業後にJFE東日本硬式野球部に所属し、1年目の2009年都市対抗野球の全国大会では、チームが出場を逃しながらも、自身はHondaの補強選手として出場。5試合中4試合にクローザーとして登板し、Hondaの優勝に貢献するとともに、若獅子賞を獲得した。翌2010年の全国大会では、JFE東日本の投手として、チームを準々決勝にまで導いている。 2010年のNPBドラフト会議で、横浜ベイスターズから1巡目で指名。最初に指名した大学の後輩・大石達也の独占交渉権が重複指名による抽選で埼玉西武ライオンズに確定した末の再指名だったが、契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で、早稲田大学から2009年に横浜へ入団していた松本・細山田と再びチームメイトになった。背番号は20。なお、ドラフト会議直後の11月には、広州アジア大会に日本代表として出場すると、銅メダルを獲得した。
※この「JFE東日本時代」の解説は、「須田幸太」の解説の一部です。
「JFE東日本時代」を含む「須田幸太」の記事については、「須田幸太」の概要を参照ください。
- JFE東日本時代のページへのリンク