JFE東日本への復帰後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 07:41 UTC 版)
2019年1月1日付で、JFE東日本に再入社。硬式野球部に復帰したうえで、プレーした。DeNA時代からオフシーズンにJFE東日本の練習施設で自主トレーニングに取り組むほど同社への愛着を持ち続けてきたことや、DeNA入団前のチームメイトだった監督の落合成紀から、「プロ(DeNA)での生活が終わったら(JFE東日本へ)戻って来て欲しい」と勧められていたことによる。 2019年には、日本野球連盟が管轄する社会人野球の全国大会で、通算7勝1敗をマーク。最多勝利投手賞を受賞したほか、社会人ベストナインに初めて選ばれた。7月に出場した第90回都市対抗野球大会では、細山田擁するトヨタ自動車と決勝で対戦すると、救援登板で2回1/3を完璧に抑えたことによってチームの初優勝に貢献した。この大会では、決勝を含むチームの全5試合に救援で登板。通算投球イニング14回で4勝、17奪三振、防御率0.64という好成績を挙げたことから、橋戸賞を受賞した。都市対抗野球の最優秀選手賞に当たる橋戸賞の受賞および、社会人野球ベストナインへの選出は、プロ野球経験者としては初めての事例である。その一方で、シーズン終了後の11月7日には、右肘のクリーニング手術を受けた。 2021年はコーチ兼任でプレーし、シーズンオフの同年12月21日に自身のTwitterで現役引退を表明し、今後は社業に専念する意向を示した(所属はJFE物流)。
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