FFSF結成からFSFI創設までの各国の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/04 01:31 UTC 版)
「国際女子スポーツ連盟」の記事における「FFSF結成からFSFI創設までの各国の動き」の解説
1917年のFFSF結成を皮切りに各国で女子陸上競技連盟が創られた。1921年には5カ国対抗戦が行われ、FSFIが創設された。 1917年 フランス ミリア夫人がフランス女子スポーツ連盟(FFSF)を結成 オーストリア オーストリア陸上競技連盟の委員会が女子競技の審判と各クラブ内に女子部を設立することを決定。ウイーンサッカークラブ、ドナウ女子水泳クラブが陸上競技部門を置き、女子陸上競技種目を行った。 スウェーデン スウェーデン政府が「女子用体力章検定」と呼ばれる体力テストを女子生徒に実施。(スウェーデンでは既に1913年イェーテボリで女子生徒のための陸上競技会を開催していた) 1918年 オーストリア 第1回オーストリア女子陸上競技選手権大会が開催。種目は100m、400m、走高跳、走幅跳、円盤投(2kg)、砲丸投(5kg)の6種目だった。同年、ウイーンサッカークラブがハンガリーのブダペストに女子選手団を派遣した。 イギリス 女子独自のチームがロンドン、スタンフォード・ブリッジでの男子の陸上競技大会にリレーでエントリーし競争に加わった。 1919年 オーストリア ドナウ女子水泳クラブがドイツのミュンヘンの女子陸上競技大会に参加。 イギリス 「公務員選手権」に女子種目として440ヤードリレーを設定し競技を実施。女子学生の「北部地区女子選手権大会」も開催された。 ドイツ ドイツ陸上競技連盟に女子部門を設置。(ドイツではアメリカに次ぎ1904年に女子の競技大会が行われていた。敗戦後この年に活動を再開し、女子競技が急速に発展する) フランス FFSFが国際オリンピック委員会(略称:IOC)に対し、オリンピック大会の陸上競技部門に女子種目の設定をするよう要望。IOCに拒否される。 1920年 ベルリン対ウィーン国際対抗陸上競技大会で女子種目(100m、走幅跳、円盤投)が行われる。 4月20日、アントワープオリンピック開催。陸上競技では女性の出場は認められなかった。 1921年 モンテカルロで「国際女子体育・スポーツ大会」が行われる。フランス・イギリス・ノルウェー・イタリア・スイスの5カ国対抗だった。実施された種目は60m、63mハードル、74mハードル、250m、800m、300mリレー、800mリレー、走幅跳、砲丸投、やり投(800g)、バスケットボールだった。 パリで「フランス・イギリス対抗戦」が行われる。実施された種目は100ヤード走、300m、100mハードル、1000m、800ヤードリレー、走高跳、走幅跳、やり投(800G)だった。 10月31日、FSFIが創設される。 1922年 イギリス 女子アマチュア陸上競技連盟(Woman's Amateur Athletic Association(略称:Woman's AAA="Three A"))が設立された。(1936年のFSFIの消滅後、各国の女子陸上組織は男子組織に組み入れられる形で再編されたが、イギリスのWoman's AAAだけは女性により運営される組織として独立した地位を守った)
※この「FFSF結成からFSFI創設までの各国の動き」の解説は、「国際女子スポーツ連盟」の解説の一部です。
「FFSF結成からFSFI創設までの各国の動き」を含む「国際女子スポーツ連盟」の記事については、「国際女子スポーツ連盟」の概要を参照ください。
- FFSF結成からFSFI創設までの各国の動きのページへのリンク