Epic Gamesの設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 20:44 UTC 版)
「ティム・スウィーニー」の記事における「Epic Gamesの設立」の解説
スウィーニーは1989年頃からメリーランド大学に通い、機械工学を専攻していたが、依然としてコンピュータに魅了されていた。この頃に国家地理空間情報局に勤務していた父親からIBM PC ATをプレゼントされた。スウィーニーは、実家からコンピューターのサポートを提供するコンサルティング会社「Potomac Computer Systems」を設立したが、なかなか軌道に乗らず会社を棚上げにした。その後スウィーニーは、売れるゲームを作り、大学の勉強以外の夜間または週末にプログラミングするというアイデアを思いついた。そのためには、まずゲームをプログラムできるようにするためにPascal言語をベースとしたテキストエディターを作成する必要があり、テキストエディター自体をゲームにするというアイデアにつながり、これが『ZZT』の基礎となった。彼は大学の友人や近所の人々にZZTを評価してもらい、他のコンピューターユーザーに売れるものであると認識した。ゲームを配布するためにスウィーニーはシェアウェアモデルを検討し、当時の主要なシェアウェア制作会社「Apogee Software, Ltd.」のスコット・ミラーにZZTを配布する方法についてのアイデアを求めて手紙を書いた。彼はZZTを販売するためにPotomac Computer Systemsを復活させ、父親の助けを借りて通信販売を行った。ZZTの販売は好調で、毎日数本売れて1日あたり約100ドルにもなり、スウィーニーはゲーム開発を仕事にすることを決めた。彼はゲーム会社にふさわしい社名が必要なことを認識し、Potomac Computer Systemsを「Epic MegaGames」に改名した。 ZZTに続いて、スウィーニーは次回作『Jill of the Jungle』に取り組み始めたが、一人で完成させるにはスキルが不足していることがわかった。彼は4人のチームを結成し、1992年半ばまでにゲームを完成させた。開発を続けるために、スウィーニーはEpic MegaGamesのビジネスパートナーを探し、最終的にid Softwareを解雇されたばかりのマーク・レインに行きついた。レインは会社の成長と管理を支援したが、会社の成長のためにスウィーニーは1単位足りず学位を取得することはできなかった。スウィーニーは後に、1998年のファーストパーソン・シューティングゲーム『Unreal』や様々なゲームで使用されている「Unreal Engine」の開発に取り組んだ。『Unreal』の成功により、同社は1999年にノースカロライナに移転して社名をEpic Gamesに変更した。スウィーニーはコンピュータソフトウェアに関連するいくつかの特許を申請している。
※この「Epic Gamesの設立」の解説は、「ティム・スウィーニー」の解説の一部です。
「Epic Gamesの設立」を含む「ティム・スウィーニー」の記事については、「ティム・スウィーニー」の概要を参照ください。
- Epic Gamesの設立のページへのリンク