英国国際開発省
英国国際開発省(DFID)は、1997年5月、労働党のブレア政権の発足に伴い、外務省の下部機関(海外開発庁(ODA: Oversea Development Administration))から、「開発」を担当する独立した省として誕生した。DFIDは閣内大臣の下で、援助の政策立案から実施までを一元的に実施している。
英国はここ数年、英国経済の好景気に支えられ、国際開発援助(ODA)を増額してきており、2006年の総額は69億ポンドに増額された。これにより、ODAの国民総所得に占める割合が0.52%となったが、2013年までに0.7%という国連目標を達成すべく取り組みを進めている。また、国際機関を通じた援助比率が約45%と高く、特にEUを通じた援助額(30%)が最大となっている。
二国間協力では直接財政支援という独自の援助手法により、敢えて「国益」を考えず、「顔の見えない援助」という立場をとっている。また1998年から有償資金協力を行わず、原則すべて無償援助であり、更に2001年からは100%アンタイドとなっている。DFIDが支援を行っている途上国は、ほとんどが英国の旧植民地のサブ・サハラ・アフリカの英語圏、南西アジアである。DFIDの海外事務所は67か所あるが、海外への権限移譲が進んでおり、200万ポンドまでの案件で政策的判断が必要とされない案件の発掘・形成は現地で行われている。(清水利恭)
参考URL:DFIDホームページ http://www. dfid.gov.uk/
国際開発省
(DFID から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:02 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動国際開発省 Department for International Development (DFID) | |
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![]() 国際開発省本庁舎(ロンドン) | |
役職 | |
概要 | |
所在地 | ロンドン ホワイト・ウォール |
設置 | 1997年 |
廃止 | 2020年9月2日 |
前身 | 国際開発庁 |
後身 | 外務・英連邦・開発省 |
ウェブサイト | |
Official website |
国際開発省(こくさいかいはつしょう、英語: Department for International Development、略称:DFID)は、かつてイギリス政府に存在した行政機関。1997年5月、トニー・ブレア政権の発足と同時に設置された。主に外国援助を担当していたが、対外政策一本化のため2020年9月に外務・英連邦省と統合された[1]。
歴史
1964年から70年にかけての第一次ウィルソン内閣時代、海外支援業務の一本化を目的として海外開発省(Ministry of Overseas Development)が設立された。1970年10月に保守党が政権を獲得すると同省は外務・英連邦省に統合され、海外開発局(Overseas Development Administration)に格下げとなった。74年に再び政権を獲得した労働党が海外開発省の復活を表明したが、79年に保守党が政権を獲得すると再び海外開発局へ格下げとなった。その後長く続いた保守党政権時代には海外開発局として活動していたが、1997年に労働党が政権を獲得すると再び外務・英連邦省との分離が行われ、国際開発省が設立された。
労働党政権下ではイギリスの商品・サービスと結びつくような支援が減らされたため、しばしば外国援助が非効率に行われた。不必要な官僚主義を避けるため、DFIDでは独自プログラムの立ち上げを行わないようにしていた。その結果DFIDの資金は主に政府機関や国際機関に配分され、それらを通じて援助が提供されていた。2009年7月、DFIDは従来のブランド戦略を転換し、明確にイギリス国民からの支援であることがわかるようなロゴを作成した。この決定は当時援助関係者の間で議論を呼んだが、下院国際開発委員会議長のマルコム・ブルースは、「DFIDではイギリスからの支援であることがわからない。米国はUSAID、カナダはCIDAを設立した。」と説明した。
2020年6月、首相のボリス・ジョンソンは国際開発省と外務・英連邦省を統合し、外務・英連邦・開発省とすることを発表した。その目的について首相は「対外支援を外交政策と統合すること」と述べた。
脚注
- ^ “イギリス、外務・英連邦・開発省を新設 2省を統合”. BBCニュース (2020年9月2日). 2021年9月7日閲覧。
外部リンク
- Official website - 公式サイト
- DFIDのページへのリンク