Britannia『ブリタニア』
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「ウィリアム・キャムデン」の記事における「Britannia『ブリタニア』」の解説
1586年初版、1607年第6版。版を重ねるにつれ、取材旅行や一次資料の分析による加筆や、挿絵の追加、判型の巨大化が進んだ。その間、英国で盛んに読まれるとともにヨーロッパ大陸でも出版され、キャムデンを国際的有名人にした。これらの版はいずれも国際共通語のラテン語で書かれていたが、1610年に第6版の英訳がフィルメオン・ホランド(英語版)によって刊行され、そちらも版を重ねた。1695年には新たな英訳がエドムンド・ギブソン(英語版)によって複数著者の補遺つきで刊行された。 本書は1000頁を超える大著であり、扱う内容も多岐にわたる。とりわけ、イギリス人の起源(トロイのブルータス説の真偽)や、ストーンヘンジ、ハドリアヌスの長城、ローマ帝国期の地名の比定、アーサー王の十字架(アヴァロンのグラストンベリー説)、名家の家系(系譜学)、各地の怪奇現象や巨人伝説といった民間伝承(フォークロア)を扱う。また、化石の出土やビーバーの絶滅といった、博物学的・古生物学的内容も扱う。そのような内容の広範さや執筆手法から、本書は西洋好古学のカノン(英語版)に位置づけられる。 本書が書かれたきっかけとして、フランドル人の地理学者アブラハム・オルテリウスからの執筆依頼があった。オルテリウスは1571年に英国を訪れていた。オルテリウスを含む後期ルネサンスの学者たちは、ローマ帝国期の地名の比定を通じて「古代ローマの再現」を行っていた。本書もその一環として書かれた。 本書が影響を受けたものとして、先達の好古家ジョン・リーランド(英語版)が書いた英国各地の修道院巡行録 (itinerary) や、ウィリアム・ランバード(英語版)によるアングロ・サクソン研究がある。ランバードとキャムデンは書簡を交わす仲でもあった。 火薬陰謀事件のあとの版では、事件をめぐるフォークロアや、首謀者たちに対する非難、陰謀を暴いたモンティーグル卿(英語版)の家系への賛辞が加筆された。 本書が盛んに読まれた時代背景として、ローマ教会からの離脱が決定的になったエリザベス朝期における「下からの愛国主義」の盛り上がりや「国民」の形成、地主支配体制による名家の家系の重要視があった。
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