Britannia『ブリタニア』とは? わかりやすく解説

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Britannia『ブリタニア』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 07:23 UTC 版)

ウィリアム・キャムデン」の記事における「Britannia『ブリタニア』」の解説

1586年初版1607年第6版。版を重ねるにつれ、取材旅行や一資料分析による加筆や、挿絵追加判型巨大化進んだその間英国盛んに読まれるとともにヨーロッパ大陸でも出版され、キャムデンを国際的有名人にした。これらの版はいずれ国際共通語ラテン語書かれていたが、1610年第6版英訳がフィルメオン・ホランド(英語版)によって刊行され、そちらも版を重ねた1695年には新たな英訳がエドムンド・ギブソン(英語版)によって複数著者補遺つきで刊行された。 本書1000頁を超える大著であり、扱う内容多岐にわたるとりわけイギリス人起源トロイのブルータス説の真偽)や、ストーンヘンジハドリアヌスの長城ローマ帝国期地名比定アーサー王十字架アヴァロングラストンベリー説)、名家家系系譜学)、各地怪奇現象巨人伝説といった民間伝承フォークロア)を扱う。また、化石出土ビーバー絶滅といった、博物学的・古生物学内容も扱う。そのような内容広範さや執筆手法から、本書西洋好古学のカノン英語版)に位置づけられる。 本書書かれきっかけとして、フランドル人地理学者アブラハム・オルテリウスからの執筆依頼があった。オルテリウス1571年英国訪れていた。オルテリウスを含む後期ルネサンス学者たちは、ローマ帝国期地名比定通じて古代ローマ再現」を行っていた。本書もその一環として書かれた。 本書影響を受けたものとして、先達好古家ジョン・リーランド(英語版)が書いた英国各地修道院巡行録 (itinerary) や、ウィリアム・ランバード(英語版)によるアングロ・サクソン研究がある。ランバードとキャムデンは書簡を交わす仲でもあった。 火薬陰謀事件のあとの版では、事件をめぐるフォークロアや、首謀者たちに対す非難陰謀暴いたモンティーグル卿(英語版)の家系への賛辞加筆された。 本書盛んに読まれ時代背景として、ローマ教会からの離脱決定的になったエリザベス朝期における「下からの愛国主義」の盛り上がりや「国民」の形成地主支配体制による名家家系重要視があった。

※この「Britannia『ブリタニア』」の解説は、「ウィリアム・キャムデン」の解説の一部です。
「Britannia『ブリタニア』」を含む「ウィリアム・キャムデン」の記事については、「ウィリアム・キャムデン」の概要を参照ください。

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