コソボの戦い
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コソボの戦い | |
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戦争:オスマン帝国のヨーロッパ侵攻 | |
年月日:1389年6月15日 | |
場所:コソボ平原 | |
結果:オスマン帝国の圧勝 | |
交戦勢力 | |
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指導者・指揮官 | |
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コソボの歴史 |
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古代 - 中世 |
イリュリア |
ローマ帝国 (100 BC - 395 AD) |
東ローマ帝国 (395 - 839) |
ブルガリア帝国 (839 - 1241) |
セルビア王国 |
コソボの戦い |
オスマン帝国(1455 - 1912) |
ルメリ |
コソボ州 (en) |
アルバニア民族覚醒 (en) |
プリズレン連盟 |
20世紀以降 |
第一次バルカン戦争 |
セルビア王国 |
ユーゴスラビア王国 |
アルバニア王国 |
コソボ・メトヒヤ自治州 (1946 - 1974) |
コソボ社会主義自治州 (1974 - 1990) |
コソボ共和国(1990 - 2000) |
コソボ・メトヒヤ自治州 (1990 - 1999) |
コソボ紛争 (1996 - 1999) |
UNMIK(1999 - 2008) |
コソボ共和国 (2008 -) |
コソボの戦い(コソボのたたかい、セルビア・クロアチア語: Bitka na Kosovu、ボスニア語: Kosovska bitka、トルコ語: I. Kosova Muharebesi)は、1389年にコソボで勃発した、セルビア公国とオスマン帝国による会戦である。
経過
1389年6月15日[1]、コソボ平原で、セルビア侯ラザル・フレベリャノヴィチ、ボスニア王スチェパン・トヴルトコ1世、ワラキア大公ミルチャ1世などからなるバルカン半島の諸侯軍が、アジアからの勢力を伸ばしつつあったムラト1世率いるオスマン帝国軍と会戦した。戦いはオスマン帝国軍の大勝に終わった。
影響
この戦いの結果、オスマン帝国はドナウ川以南の支配権を確立し、セルビア・マケドニア・ブルガリアはオスマン帝国への服従を強いられる。この戦いでオスマン帝国はバルカン半島征服に大きな成果を獲得した。ところが、ムラト1世はセルビア貴族ミロシュ・オビリッチ[2]の謁見の際に刺し殺されてしまう。そしてオスマン軍は報復に捕虜のセルビア侯ラザルを殺害。すぐにバヤズィト1世がスルタンに即位。バルカン征服事業を継承する。オスマン帝国というイスラム勢力がバルカン半島での存在感を確固たるものにしたことは、ヨーロッパ・キリスト教世界を刺激し、神聖ローマ皇帝ジギスムントをはじめとするヨーロッパ諸侯は「十字軍」を結成し1396年のニコポリスの戦いに至る。
戦地となったコソボはセルビア王国の聖地となった。のち、1980年代にセルビア民族主義を掲げるミロシェヴィッチが台頭すると、コソボの自治権を大幅に制限し、クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビナなどで難民となったセルビア人を入植させる政策がとられた。このためコソボでの民族バランスが大きく崩れることとなり、1990年代後半のコソボ紛争へとつながっていった。
脚注
- ^ 6月28日と書かれることも多いが、これはグレゴリオ暦に換算したものである。グレゴリオ暦の施行は1582年で、コソボの戦いの時点では施行されていない。なお、6月28日はセルビア正教会の聖者ウィトゥス (en:Vidovdan) の祝日である。
- ^ コビリッチ、コビロヴィッチとも。
関連項目
「Battle of Kosovo」の例文・使い方・用例・文例
- 米国のメキシコとメキシコ系のアメリカの共同体で1862年にプエブラのBattleのフランス人に対するメキシコの勝利を記念するのが観測される5月5日
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
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