7.7mm口径化の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 04:04 UTC 版)
「九九式短小銃」の記事における「7.7mm口径化の経緯」の解説
日露戦争終戦後(同戦争における主力小銃は三十年式歩兵銃)、日本軍では三八式歩兵銃を主力小銃として使用していたが、歩兵戦術が機関銃(重機関銃・軽機関銃)中心へ急速に移行すると、歩兵銃弾と機関銃弾の銃弾の共通化、弾薬補給効率の向上が緊急の研究課題となり、三八式歩兵銃を基にして何種類かの大口径小銃が試作された。また6.5㎜三八年式実包を使用した小銃では銃身膨張の問題を抱えていたが原因や解決策が見いだせないでいた。 イギリスのヴィッカーズ社(古くはビッカースと言うことが多かった)が開発したヴィッカーズE型 7.7 mm機関銃(Vickers Class E .303 inch aircraft machine gun)をライセンス生産した航空機用八九式固定機関銃が1929年(昭和4年)に正式採用され、この7.7mm弾を国産化した(九二式実包)を使用する新型重機関銃たる九二式重機関銃が実用化されると、弾薬の補給面からこの7.7mm弾を使用できる事が要求に組み込まれた。 満州事変や第一次上海事変、日中戦争(支那事変)で対峙した中国国民革命軍等は、7.92mm弾(7.92mmx57IS)を使用するマウザー(モーゼル)系の漢陽88式小銃(Gew88)で武装していた。7.92mm弾では早くから徹甲弾が実用化されており、命中箇所によれば日本軍の装甲車や軽戦車の装甲を貫通することもあった。このため陸軍では、当時の欧米列強国の小銃弾に準じて、口径は7mm~8mm程度が好ましいとされ、こうした戦訓も後押しする形で、明治・大正・昭和と研究されてきた新小銃の配備が決定された。 こうして完成・採用されたのが九九式小銃・短小銃だったが、日中戦争の激化で動員がすすめられ兵士の数が急増したため三八式歩兵銃からの全面更新は不可能となった。結果として2種類の主力小銃が同時に存在したまま太平洋戦争に突入してしまった。なお、おおむね師団単位で使用銃器(口径)は固定化され、南方方面には7.7mm部隊を、既存の中国方面には6.5mm部隊をと区分けはされていたものの、日本軍全体においては弾薬補給上の混乱を招いた。さらに大戦中後期には南方戦線の戦況悪化のため中国方面の部隊を引き抜き戦力増強したこともあり、補給上の問題は悪化することとなった。また、九二式実包との互換性についても計画通りには実現できなかったため、意図に反して補給上の問題はさらに煩雑となった(後述)。
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