5人の公達からの求婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:38 UTC 版)
世間の男は、その貴賤を問わず皆どうにかしてかぐや姫と結婚したいと、噂に聞いては恋い慕い思い悩んだ。その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず、彼らは翁の家の垣根にも門にも、家の中にいる人でさえかぐや姫を容易に見られないのに、誰も彼もが夜も寝ず、闇夜に出でて穴をえぐり、覗き込むほど夢中になっていた。 そのような時から、女に求婚することを「よばひ」と言うようになった。 そのうちに、志の無い者は来なくなっていった。最後に残ったのは色好みといわれる5人の公達で、彼らは諦めず夜昼となく通ってきた。5人の公達は、石作皇子、車(庫)持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂といった(このうち阿倍・大伴・石上の3人は実在した、または実在の人物がモデルである、ことが判明している)。 これを見て翁がかぐや姫に「仏のように大切なわが子よ、変化の者とはいえ翁も七十となり今日とも明日とも知れない。この世の男女は結婚するもので、あなたも結婚のないままいらっしゃるわけにはいかない」と言うとかぐや姫は、良くもない容姿で相手の深い心も知らずに結婚して、浮気でもされたら後悔するに違いないとし、「世の畏れ多い方々であっても、深い志を知らないままに結婚できません。ほんのちょっとしたことです。『私の言う物を持って来ることが出来た人にお仕えいたしましょう』と彼らに伝えてください」と言った。夜になると例の5人が集まって、或る者は笛を吹き、或る者は和歌を詠い、或る者は唱歌し、或る者は口笛を吹き、扇を鳴らしたりしていた。翁は公達を集めてかぐや姫の意思を伝えた。 その意思とは石作皇子には「仏の御石の鉢」、車持皇子には「蓬萊の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)」、右大臣阿倍御主人には「火鼠の裘(かわごろも、焼いても燃えない布)」、大納言大伴御行には「龍の首の珠」、中納言石上麻呂には「燕の産んだ子安貝」を持って来させるというものだった。どれも話にしか聞かない珍しい宝ばかりで、手に入れるのは困難だった。 石作皇子は大和国十市郡の山寺にあった只の鉢を持っていき嘘がばれたが、鉢を捨ててまた言い寄ったことから、思い嘆くことを「はぢを捨てる」と言うようになった。 車持皇子は玉の枝の偽物をわざわざ作ったがその報酬を支払われていない職人たちがやってきて偽物と発覚、長い年月姿が見えなかったことから「たまさがなる」と言うようになった。 阿倍は唐の商人から火鼠の皮衣を購入した。この衣は本来燃えぬはずであったが、姫が焼いてみると燃えたので贋作と分かり、阿倍に因んでやり遂げられないことを「あへなし」と言うようになった。 大伴は船で探索するが嵐に遭い、更に重病にかかり両目は二つの李のようになり、世間の人々が「大伴の大納言は、龍の首の珠を取りなさったのか」「いや、御目に二つ李のような珠をつけていらっしゃる」「ああたべがたい」と言ったことから、理に合わないことを「あなたへがた」と言うようになった。 石上は大炊寮の大八洲という名の大釜が据えてある小屋の屋根に上って子安貝らしきものを掴んだが転落して腰を打ち、しかも掴んだのは燕の古い糞であり貝は無かったことから、期待外れのことを「かひなし」と言うようになった。 その後、中納言が気弱になり病床にあることを聞いたかぐや姫が「まつかひもない」と見舞いの歌を送ると中納言はかろうじて、かひはなくありけるものを、と返歌を書き息絶えた。これを聞いてかぐや姫は少し気の毒に思ったことから、少し嬉しいことを「かひあり」(甲斐がある)と言うようになった。結局、かぐや姫が出した難題をこなした者は誰一人としていなかった。
※この「5人の公達からの求婚」の解説は、「竹取物語」の解説の一部です。
「5人の公達からの求婚」を含む「竹取物語」の記事については、「竹取物語」の概要を参照ください。
- 5人の公達からの求婚のページへのリンク