3大橋開通後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 17:11 UTC 版)
名港トリトンはあくまでその前後を高速道路で直結のうえ、東名高速と東名阪自動車道を連絡してこそ、その真価を発揮できるのであって、実際、1998年(平成10年)3月の3橋のグランドオープンおよび名古屋南IC - 東海IC間が供用開始した後も依然として赤字経営であった。しかし、1986年(昭和61年)時点における逆風のさなかにあっても、建設省は3橋を境にして名古屋南IC直結(すなわち国道23号名四バイパスに連結)で1日交通量約2万台、続くみえ川越ICまでの開通(同様に国道23号に連結)で約4万台、そして最終的に東名高速と東名阪道の連結で約6万台と強気の予想通行量を算出したが、結果は建設省の予測を上回る形で現れた。 3大橋のグランドオープンを含む名古屋南IC - 名港中央ICの開通以降は利用台数が急激に増加し始め、2002年(平成14年)のみえ川越IC連結による国道23号のバイパスルート完成によって2万5000台に増加、その後も増加傾向は続き、2017年(平成29年)4月には10万500台を記録した。このことは、高速道路とは一定のネットワークを形成して初めてその真価を発揮することを示し、その中間部分(名古屋港の横断部分)だけを構築してもほとんど意味を成さないことを名港トリトンの歴史は如実に示している。 名港西大橋が単体で開通していた頃の港湾物流業者の嘆きの一つに、港が世界と結ばれても国内各地とは結ばれていないということがあった。名古屋自体は各高速道路と結ばれているが、名古屋港と直結する高速道路は当時1本も存在しなかった。当時、勢いを増す名古屋港のコンテナ貨物も、それを国内各地に配送するための道路が常時渋滞する一般国道のみとあっては、国際貿易港の機能が著しく損なわれる状態におかれることになった。名港トリトンが港を通り抜けて各高速道路と結ばれている今日、それは当時の港湾物流業者が十数年先のこととして頭に思い描いた未来の道路網そのものであった。
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