2011年議会選挙
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「ポーランド農民党」の記事における「2011年議会選挙」の解説
トゥスク首相は、2011年秋の上院選挙においてPOとPSLの統一候補を擁立する方針を明らかにした。8月19日、議会の任期満了による選挙が10月5日に行われるのに併せて、PSLは選挙プログラムを発表した。「人間最優先」をスローガンに、国家の安全、社会の安全、食料の安全など5つの選挙公約も発表した。当初、世論調査(CBOS実施)における政党支持率では議席阻止線である5%を下回る4%台であったが、下院選挙にて阻止線を3%余上回る8.36%の得票を得て28議席を獲得した(前回比3議席減)。また上院選挙では2議席を獲得した。選挙後初の議会が招集された11月8日の翌9日、PSLは幹部会を開きPOとの連立継続を続けることを確認した。19日、第2次トゥスク内閣が正式に発足、PSLからは副首相兼経済相(ヴァルデマル・パヴラク党首)と労働・社会政策相及び農業・農村開発相の3閣僚を送り込んだ。 2012年11月18日の党大会にて党首選挙が実施され、ヤヌシュ・ピエンホチンスキがパブラク党首を破って新党首に選出。パブラクは副首相兼経済相を辞任し、後任には新党首となったピエホチンスキが就任した。2013年1月には連帯ポーランドから離党した下院議員1名が入党、下院議席は29名となった。
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2011年議会選挙
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「民主左翼連合 (ポーランド)」の記事における「2011年議会選挙」の解説
2011年10月5日に投票が行われる議会選挙に向け、SLDは8月22日に選挙プログラムを発表した。プログラムでは「不安のない明日」をスローガンに、最低賃金や年金額の引き上げなど社会保障政策の充実、妊娠中絶の合法化、アフガニスタンに駐留しているポーランド軍の早期撤退などを公約として掲げた。 選挙の結果、POを離党したヤヌシュ・パリコトが結成したリベラル系新党「パリコト運動」が躍進したあおりを受けて支持率を大きく減らし、下院において前回より半分近く議席を減らして惨敗、第3党から第5党に転落した。また選挙後には一部議員が離党しパリコト運動に移籍するなど党勢を更に減らす結果となった。12月に行われた臨時党大会でナピェラルスキ党首が退き、新党首としてレシェク・ミレル元首相が選出された。 2012年4月に行われた党大会ではミレルが党員から9割以上の支持を集めて党首に再選。ミレルは右派に対抗する代替政治勢力の建設を主張、また政府が進める年金制度改革を批判した。一方で、同年12月には欧州議会議員であるマレク・シヴィエツが、SLDが元大統領のクァシニエフスキやパリコト運動との統合に消極的なことを理由に、同党を離党した。
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