2000年代、ソロキャリア中心の時代
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「デーモン・アルバーン」の記事における「2000年代、ソロキャリア中心の時代」の解説
1999年のブラーのアルバム『13』ではさらに実験性を増した作品を発表すると、2001年、本格始動させたゴリラズのデビュー・アルバムが大ヒットを記録。ブラーではなかなか達成できなかったアメリカ進出を果たす。2002年には、オックスファムの招待で2000年に訪れたマリで、現地のミュージシャンとともに録音していたアフリカ音楽のアルバムを発表する。しかし2001年に始めたブラーの『シンク・タンク』レコーディング時、グレアムと音楽性の相違を巡って仲たがいをし、グレアムはその後バンドを脱退する。 一方、ソロキャリアは順調であり、2005年のゴリラズのセカンド・アルバム『ディーモン・デイズ』が前作を上回る世界的な大ヒットを記録。2006年からは「LIVE 8」の向こうを張って「アフリカ・エクスプレス」という、西洋のミュージャンとアフリカのミュージャンのコラボレーション・イベントをスタートさせた。2007年に発表した新バンドのアルバム『ザ・グッド,ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン』も大ヒットを記録。同2007年は、マンチェスター・インターナショナル・フェスティバルからのオファーで、西遊記を題材にしたオペラ作品の制作にも挑戦。中国音階を勉強して制作された翌年リリースのサウンドトラックのアルバム『モンキー:ジャーニー・トゥー・ザ・ウエスト』は、中国音楽と現代音楽の融合が見られる異色の作品であったが、全編中国語のヴォーカルの作品としては史上最高位となる全英5位を獲得している。またこの間の他アーティストへの楽曲提供や、プロデュース、ボーカル参加は数多に上るなど精力的にキャリアを積み上げ、2012年のロンドン・オリンピック開会式の総合監督の候補に名前が挙がるなど、アーティストとしての評価が高まっていった。 また絶縁状態にあったグレアムとの関係も徐々に修復を見せ、グレアムが「アフリカ・エクスプレス」や「モンキー」のオペラの客席に姿を現していることが確認されたりと、バンドが再始動するのではとの噂が囁かれていった。そして2008年12月、二人は和解し、ブラーが再活動することが正式に発表された。2009年にはグラストンベリー・フェスティバルやハイド・パークでブラーの復活ライブを行い、復活を待ちわびたオーディエンスを熱狂と感動の渦に巻き込んだ。
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