20世紀初頭のイギリス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 07:29 UTC 版)
「サフラジェット」の記事における「20世紀初頭のイギリス」の解説
1909年から、WSPUは「パンク・ア・スキス」("Pank-A-Squith")というボードゲームを発売し、キャンペーンに関する啓発と資金集めを行おうとした。このボードゲームはらせんの形になっていて、プレイヤーはサフラジェットになり、家から議会までイギリス首相ハーバート・ヘンリー・アスキスと自由党政府の反対を克服してたどり着く。マンチェスターの民俗歴史博物館ではこの「パンク・ア・スキス」ボードゲームがメインギャラリーに展示されており、訪れた人はレプリカをプレーできる。 1912年はイギリスのサフラジェットにとっての転機となった。この年からサフラジェットたちは手すりに自分たちの体を鎖でつないだり、郵便ポストの中身に放火したり、窓を割ったり、時には爆弾を爆発させるなどのさらに戦闘的な手法に頼るようになった。1914年にはイギリス中で少なくとも7軒の教会が爆破・放火され、これには700年前に作られた即位の椅子の破壊を狙ったウェストミンスター寺院の爆破工作も含まれていたが、近くに爆弾があったにもかかわらず即位の椅子は軽い損傷だけですんだ。 サフラジェットのひとりであったエミリー・デイヴィソンは1913年6月4日、エプソムダービーで国王ジョージ5世の馬であるアンマーの下敷きになって死亡した。馬に「女性に参政権を」("Votes for Women")のバナーをピンでつけようとしていたという説もあるが、これについては議論がある。仲間のサフラジェットは多くが収監されたが、政府を脅すため食事を拒否した。アスキス率いる当時の自由党政府は、ハンガー・ストライキ実行者の健康に問題が出た場合は一時釈放し、健康回復とともに再収監できることを定めた「猫とねずみ法」(Cat and Mouse Act)で対抗した。 この時期の他の傑出したイギリスのサフラジェットとしてはパンジャーブ地方の王女であったソフィア・ドゥリープ・シングがいるが、その後70年にわたってその業績はほぼ忘れられていた。
※この「20世紀初頭のイギリス」の解説は、「サフラジェット」の解説の一部です。
「20世紀初頭のイギリス」を含む「サフラジェット」の記事については、「サフラジェット」の概要を参照ください。
- 20世紀初頭のイギリスのページへのリンク