2連覇から辞職へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 05:59 UTC 版)
「パット・ライリー」の記事における「2連覇から辞職へ」の解説
1986-87シーズンのレイカーズは、球団史上屈指の強さでシーズンを勝ち進んだ。ライリーは、これまでカリーム・アブドゥル=ジャバーが担っていたチームリーダーの役割をマジック・ジョンソンに引き継がせ、得点をさらに狙うよう指導した。レイカーズは65勝17敗とリーグ首位でレギュラーシーズンを終え、NBAファイナルではまたもボストン・セルティックスと対戦した。怪我に悩まされていたセルティックスをレイカーズは4勝2敗で下し、ライリーにとって監督として3度目の優勝となった。 優勝の祝賀会で、ライリーは記者に翌シーズンも優勝することを請け合った。この時ライリーは祝杯のシャンパンを飲んでいたが、「酒が入っていたことだけが心残り」と話しており、前々から連覇を宣言するつもりでいた。数日後にロサンゼルスで行われた凱旋パレードでも、ライリーはファンに向かって連覇を約束した。 NBAでは1960年代のボストン・セルティックス以来実に19年間も連覇をしたチームはなく、近代バスケットでは連覇は不可能とまで言われていた。ライリーの意図はレイカーズが歴史に残り、時代を画すチームになることだった。公衆の面前で連覇を誓ったため、ライリーや選手は常にプレッシャーに追われながらシーズンを過ごした。これはライリーの狙いでもあった。 1987-88シーズンのレイカーズはシーズンは62勝で再びリーグ首位の成績となった。しかしプレイオフでは1回戦以外は大苦戦の連続だった。ユタ・ジャズとダラス・マーベリックスに共に最終戦まで持ち込まれて辛くも勝利。NBAファイナルでは新興勢力のデトロイト・ピストンズと対戦した。一時はピストンズに先に優勝に王手をかけられるが、レイカーズは接戦となった第7戦を制し、公約通り遂にレイカーズは2連覇を果たした。 レイカーズは翌シーズンもNBAファイナルに進むが、この時はジョンソン、ウォージー、バイロン・スコットら主力選手が怪我にたたられ、0勝4敗でデトロイト・ピストンズに優勝を譲った。 次の1989-90シーズン、レイカーズは63勝19敗でリーグ首位の成績。ライリーは初めて最優秀監督賞を受賞した。しかしプレイオフでは地区準決勝でフェニックス・サンズに1勝4敗で敗退し、不本意な形でシーズンを終えることになった。 この時期にはライリーとチームの間には一定の乖離が見られるようになっていた。チームのあらゆることを管理し、依然厳しい練習を課すライリーを支持しない選手も現れるようになった。特に不仲説が絶えなかったバイロン・スコットとの関係は、最早修復不可能になっていた。シーズン終了後、ライリーはレイカーズ監督を辞職した。 レイカーズでのライリーの成績は、レギュラーシーズンで533勝194敗で勝率73.3%という非常に高いものだった。プレイオフでは102勝47敗で勝率68.4%。9年連続ディビジョン首位でNBAファイナル進出は7回、優勝は4回だった。 レイカーズは当時まだ普及度が低かったウェイト・トレーニングをチームとしていち早く導入し、またランニング専門のコーチを雇うなどして走力を鍛えた。また、選手の試合での様々な数字を細かく統計分析して向上すべき点を個別に指導したりしていた。そうした勝利に対する徹底性がレイカーズの栄光を支えていたといえる。
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