2つのアカデミーの指導者とは? わかりやすく解説

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2つのアカデミーの指導者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 05:53 UTC 版)

エカテリーナ・ダーシュコワ」の記事における「2つのアカデミーの指導者」の解説

1782年帰国したダーシュコワは、1774年エカテリーナ結婚していたと伝えられるグリゴリー・ポチョムキン公爵通じて女帝拝謁する次男パーヴェル将校任官しポチョムキン副官として南ロシア赴任する1783年1月24日、ダーシュコワ夫人女帝エカテリーナ2世によって、サンクトペテルブルク科学アカデミー院長総裁はキリル・ラズモフスキー伯爵)に任命される科学アカデミー院長として、ダーシュコワは、アカデミーにおける学者優位確認するとともに帝国研究成果普及することを方針とする。財政再建出版活動活性化にも力を注ぎレオンハルト・オイラー論文集教科書地図ロモノーソフ全集出版し廉価販売したため、約16ルーブル黒字生んだ。この資金元に学者のための基金創設。さらに幾何学力学化学地理学博物学公開講座開催し下級貴族下士官中心とする各層門戸を開いた1783年夏、参内したダーシュコワは女帝ロシア語研究必要性言上して同意を得、その場ロシア・アカデミー創設総裁就任打診される。9月30日ロシア・アカデミー設立され、ダーシュコワは同アカデミー総裁就任科学アカデミー院長兼任しロシア帝国二つアカデミーの長として、ロシアの教育文化科学政策の総責任者となる。ダーシュコワは、科学アカデミー書記言語学精通していたイワン・レピョーヒンロシア・アカデミー常任書記任命し実務における補佐役とした。10月21日ロシア・アカデミー設立総会開かれ、同アカデミーは、ロシア語文法研究ロシア語辞典作成等を目的とすることを決定したロシア語辞典作成において、ダーシュコフ自身も3文字担当することになったが、配列巡り紛糾するアカデミー側は語源同一とする学術的配列主張したに対して女帝周辺は、アルファベット順主張した結局、この問題は、アカデミー側が1778年エカテリーナ2世クリミア行幸中にロシア語配列決定し解決する1793年ロシア・アカデミー辞典(全6巻)が完成する

※この「2つのアカデミーの指導者」の解説は、「エカテリーナ・ダーシュコワ」の解説の一部です。
「2つのアカデミーの指導者」を含む「エカテリーナ・ダーシュコワ」の記事については、「エカテリーナ・ダーシュコワ」の概要を参照ください。

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