1971年築の文書館
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「ケルン市歴史文書館」の記事における「1971年築の文書館」の解説
1971年、建築家フリッツ=ハファカンプによる6階建ての文書館がケルン市中心部の南側のゼフェリンシュトラーセに建設された。 建設目的の一つが、人工的な気候の下で気候変動から文書類を守ることにあった。人工的なエアコンを使うという同時代の傾向に反してハファカンプはそうした技術を殆ど使わない構造体による自動調整の方を好んだ。「ケルンモデル」として文書館はその後の多くの文書館の模範になった。 外気に晒されないように書架室を最大限守るために鉄筋コンクリート枠は49cmの厚さの煉瓦壁で囲んだ。外壁は明るいチェコの花崗岩で作った煉瓦壁から7cmの距離を置いて取り付けられた。内側の壁は、内側からの湿気を吸収する漆喰を塗った。湿気は煉瓦壁を通って放射し、壁と外壁の間の空間を通って排出された。地下室だけは(天井は30cmの厚さ)、人工的にエアコンが効いている。高さ130cm、幅25cmの垂直の溝は、内壁の放射を通すようになっていて、その為に日光による温度変化は、起こらなかった。1階は大きな窓が取り付けてあった。溝は換気にも用いられた。反対側の溝は、書架に平行して並ぶ空気の流れを作り出した書架棟の各階は、647m²の有効な外壁に最大4221mにわたって記録を保存した。部屋は高さ2.30m、書庫は2.25mの高さであった。書庫はそれぞれ最大70kgまで載せることができた。。 中心となる書庫棟は、高さ21.4m、幅48.8m、奥行き16mであり、更に建物全体における地下と1階は、かなり広いものになっていた。ゼフェリンシュトラーセに向かって1階は入口と展示室になっていた。その周辺は事務室20室を囲む形の読書室、返還室、様々な用途に用いられる部屋であった。4つある中庭から後方の1階の部屋に自然光が差し込んだ。地下には法令文書室、公文書図書室、中央には60cmの厚さの鉄筋コンクリート壁の法令と記録保管用の重要文書保管室があった。文書館は炎感知器、二酸化炭素による消火設備、防犯警報で守られていた。 公文書が1897年の文書館から新しい文書館に移ると(1971年4月26日から6月20日)、書庫の44%弱が埋まった。1996年には収蔵量がいっぱいになり、それ以降は外部委託が行われた。
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