1971年築の文書館とは? わかりやすく解説

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1971年築の文書館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 03:14 UTC 版)

ケルン市歴史文書館」の記事における「1971年築の文書館」の解説

1971年建築家フリッツ=ハファカンプによる6階建ての文書館ケルン市中心部南側のゼフェリンシュトラーセに建設された。 建設目的一つが、人工的な気候の下で気候変動から文書類を守ることにあった人工的なエアコンを使うという同時代傾向反してハファカンプはそうした技術を殆ど使わない構造体による自動調整の方を好んだ。「ケルンモデル」として文書館その後多く文書館模範になった外気晒されないよう書架室を最大限守るために鉄筋コンクリートは49cmの厚さ煉瓦壁囲んだ外壁明るチェコ花崗岩作った煉瓦壁から7cmの距離を置いて取り付けられた。内側の壁は、内側からの湿気吸収する漆喰塗った湿気煉瓦壁通って放射し、壁と外壁の間の空間通って排出された。地下室だけは(天井は30cmの厚さ)、人工的にエアコン効いている。高さ130cm、幅25cmの垂直の溝は、内壁放射を通すようになっていて、その為に日光による温度変化は、起こらなかった。1階大きな窓が取り付けてあった。溝は換気にも用いられた。反対側の溝は、書架平行して並ぶ空気流れ作り出した書架棟の各階は、647m²の有効な外壁最大4221mにわたって記録保存した部屋は高さ2.30m、書庫は2.25mの高さであった書庫それぞれ最大70kgまで載せることができた。。 中心となる書庫棟は、高さ21.4m、幅48.8m、奥行き16mであり、更に建物全体における地下1階は、かなり広いものになっていた。ゼフェリンシュトラーセに向かって1階入口展示になっていた。その周辺事務室20室を囲む形の読書室、返還室、様々な用途用いられる部屋であった4つある中庭から後方1階部屋自然光差し込んだ地下には法令文書室公文書図書室中央には60cmの厚さ鉄筋コンクリート壁の法令記録保管用の重要文保管室があった。文書館炎感知器二酸化炭素による消火設備防犯警報守られていた。 公文書1897年文書館から新し文書館に移ると(1971年4月26日から6月20日)、書庫44%弱が埋まった1996年には収蔵量がいっぱいになり、それ以降外部委託が行われた。

※この「1971年築の文書館」の解説は、「ケルン市歴史文書館」の解説の一部です。
「1971年築の文書館」を含む「ケルン市歴史文書館」の記事については、「ケルン市歴史文書館」の概要を参照ください。

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